By nakamura, 5 7月, 2024

鹿児島県下(かごしまけんか)     賊徒蜂起之事件(ぞくとはうきのじけん) 干時(ときに)明治十年第一月西海(さいかい)の浪平穏(なみおだやか)な らず政府此(こゝ)に注目(ちうもく)あり陸軍士官命(りくくんしくゎんめい)を 奉(ほう)じて汽船(きせん)赤龍丸(せきりうまる)へ乗組(のりくみ)鹿児島(かごしま)へ入(にう) 港(こう)す抑此(そもこの)港(みなと)は東北は大隅に属(ぞく)し西は薩(さつ) 摩(ま)南は海峡(かいけう)に沿(そ)ひ港門(みなとぐち)至て狭(せま)し中央(ちうわう)に 桜島(さくらじま)あり此島より鹿児島港(こう)へ海上(かいしゃう)一里也 官史(くゎんり)は同所製造所(せいざうしょ)の弾薬(だんやく)を積込(つみこま)んと する際(きは)同県士族(けんしぞく)等遮止(さへぎりとゞ)め弾薬を掠奪(りゃうだつ)し 是(これ)を暴挙(ばうきょ)の手始(はじ)めとし数千人屯集(とんしう)し西(さい) 郷(がう)氏に迫(せまっ)て隊長(たいちゃう)たらんことを乞(こ)ふ同氏は 確乎(かくこ)として動(うこ)かず諭(さと)すに大義(たいぎ)以(もっ)て為(なす)と 雖(いへど)も伏(ふく)せずこれにより謝絶(しゃせつ)して跡(あと)を暗(くらま) せしかば桐野(きりの)篠原(しのはら)の両氏を巨魁(こくゎい)と仰(あふ) ぎ諸方(しょはう)の士族(しぞく)を煽動(せんどう)して其勢一万余人 三手に分(わか)れ一手は熊本(くまもと)へ繰(くり)出し官軍(くゎんぐん)と 激戦(げきせん)す然(しか)るに西郷軍(ぐん)に将(しゃう)たりと云是(いふこれ) 不得止(やむをえさる)の謂(いゝ)なるか同氏は維新(いしん)の功臣(こうしん)にて 美名(びめい)世(よ)に轟(とゞろき)しも桜島(さくらじま)の花をちらし悪(あく) 名(めう)を万代に残(のこ)さんとは可惜々々(おしむべしおしむべし)

資料集掲載番号
011
受入番号
1990-032-116
西南戦争錦絵判型
大判錦絵三枚続
作者
大蘇芳年(月岡芳年)
彫師
彫師未詳
賛署名
筆者未詳
版元名
大倉孫兵衛
版元住所
日本橋通一丁目十九番地
届出日
明治十年三月十四日届出
左中右 上中下1
本紙1横
23.40
左中右 上中下2
本紙2竪
35.20
本紙2横
24.40
左中右 上中下3
本紙3横
25.10
本紙1竪
35.20
本紙3竪
35.30
名札
西郷隆盛
桐野利秋
淵邊高照
篠原国幹
iiif_direction
right-to-left
UUID
7a1a7d32-904d-49b4-9ba1-60a5581d3bd3