鹿児島県下(かごしまけんか) 賊徒蜂起之事件(ぞくとはうきのじけん) 干時(ときに)明治十年第一月西海(さいかい)の浪平穏(なみおだやか)な らず政府此(こゝ)に注目(ちうもく)あり陸軍士官命(りくくんしくゎんめい)を 奉(ほう)じて汽船(きせん)赤龍丸(せきりうまる)へ乗組(のりくみ)鹿児島(かごしま)へ入(にう) 港(こう)す抑此(そもこの)港(みなと)は東北は大隅に属(ぞく)し西は薩(さつ) 摩(ま)南は海峡(かいけう)に沿(そ)ひ港門(みなとぐち)至て狭(せま)し中央(ちうわう)に 桜島(さくらじま)あり此島より鹿児島港(こう)へ海上(かいしゃう)一里也 官史(くゎんり)は同所製造所(せいざうしょ)の弾薬(だんやく)を積込(つみこま)んと する際(きは)同県士族(けんしぞく)等遮止(さへぎりとゞ)め弾薬を掠奪(りゃうだつ)し 是(これ)を暴挙(ばうきょ)の手始(はじ)めとし数千人屯集(とんしう)し西(さい) 郷(がう)氏に迫(せまっ)て隊長(たいちゃう)たらんことを乞(こ)ふ同氏は 確乎(かくこ)として動(うこ)かず諭(さと)すに大義(たいぎ)以(もっ)て為(なす)と 雖(いへど)も伏(ふく)せずこれにより謝絶(しゃせつ)して跡(あと)を暗(くらま) せしかば桐野(きりの)篠原(しのはら)の両氏を巨魁(こくゎい)と仰(あふ) ぎ諸方(しょはう)の士族(しぞく)を煽動(せんどう)して其勢一万余人 三手に分(わか)れ一手は熊本(くまもと)へ繰(くり)出し官軍(くゎんぐん)と 激戦(げきせん)す然(しか)るに西郷軍(ぐん)に将(しゃう)たりと云是(いふこれ) 不得止(やむをえさる)の謂(いゝ)なるか同氏は維新(いしん)の功臣(こうしん)にて 美名(びめい)世(よ)に轟(とゞろき)しも桜島(さくらじま)の花をちらし悪(あく) 名(めう)を万代に残(のこ)さんとは可惜々々(おしむべしおしむべし)
IIIF Image
資料集掲載番号
011
受入番号
1990-032-116
西南戦争錦絵判型
大判錦絵三枚続
彫師
彫師未詳
賛署名
筆者未詳
版元名
大倉孫兵衛
版元住所
日本橋通一丁目十九番地
届出日
明治十年三月十四日届出
左中右 上中下1
右
本紙1横
23.40
左中右 上中下2
中
本紙2竪
35.20
本紙2横
24.40
左中右 上中下3
左
本紙3横
25.10
本紙1竪
35.20
本紙3竪
35.30
名札
西郷隆盛
桐野利秋
淵邊高照
篠原国幹
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right-to-left
UUID
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