By nakamura, 5 7月, 2024

西南(さいなん)吉次越への官軍は木留/町に戦(たゝか)ひ賊(ぞく)が守(まも)る処の砲台(だいば)/あまたを乗取(のりとり)り是より続(つゞ)いて/攻戦(たゝかひ)昼夜(ちうや)引切(ひきゝ)らず官軍には/熊本へ達(つう)せんとの見込(みこ)みにて/其鉾先(そのほこさき)きのはげしきは電光(でんこう)/の絶壁(ぜっへき)に応(をう)ずる如く激戦勝(けきせんしゃう)/敗(はい)を決(けっ)せず去程(さるほど)に征討総督(せいとうそうとく)有栖川宮/には二大隊(たい)の兵(へい)を随(したが)ひ南の関へと繰出(くりいだ)され/それより高瀬へ営(じんや)を進(すゝ)められ給ふ八代の/官軍は小蒸気(こじゃうき)船にて本営(じんや)往復(ゆきゝ)を達(な)す/此度(こんど)の戦争(いくさ)は去日(せんころ)より田原坂越(こ)への大戦(いくさ)が/実(じつ)に前後(ぜんご)稀(まれ)なる大挙(たいきょ)にして官軍苦戦(くせん)/の中にも陸軍少将大山巌君は纔(わづ)か十有/余人の兵(へい)を御(さしづ)して一際(ひときは)の突戦(はたらき)なりしといふ/田原の険塁(かため)を案外早(あんがいはや)く略取(のっとり)せられしは/将士方(くはんぐん)の奇功(きこう)を奏(そう)ずによれりと云々/桐野利秋は大竹(をゝたけ)を/振(ふ)り猛戦(もうせん)し此竹破裂(はれさけ)/なす頃(ころ)は大坂辺へ其身(そのみ)達(たっ)す/との広言(くはうげん)なすとは受(うけ)がたし/○聖上には三月丗一日大坂鎮台(ちんだい)に/入御(をいり)遊され本日(そのひ)八代へ出兵(くりだし)/軍列(てようれん) 叡覧(えいらん)あり/続(つゞ)いて戦地(せんち)にての疵(き)/傷(づ)人を御慰労(たづね)とし/葡萄酒(ぶどうしゅ)を下され将士(しゃうし)を/御愛撫(あいぶ)の有難(ありがた)きは実(じつ)に/感涙服(かんるいふく)を浸(ひた)す/其日直(たゞち)に/西京へ/還御(くはんきょ)あり跡はをい〳〵次号に       明治十年三月五日御届         同   四月   出版

資料集掲載番号
184
受入番号
2014-005-13
西南戦争錦絵判型
大判錦絵
作者
絵師未詳
彫師
彫師未詳
賛署名
金井徳兵衛筆
版元名
金井徳兵衛
版元住所
大阪府第三大区六小区新町南通一丁目十一番地
届出日
明治十年三月五日届出
本紙横
35.50
本紙竪
25.40
名札
桐野利秋
陸軍少将 大山巌君
東京巡査抜刀隊
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UUID
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