続(つゞ)いて西南評(ひゃう)は四月八日 熊本籠城(ろうじゃう)の兵(へい)を一大 隊(たい)を奥少佐君引率(いんそつ)して 城門(じゃうもん)を出て 安政橋まで 押(をし)だし来るに橋は賊が 毀(こぼ)ちたれば皆々徒(みな〱かち)渡り して進(すゝ)むほどに南岸の 賊あるを見懸(か)け兵を 残(のこ)して是(これ)に当らせ其隙(ひま)に乗(じゃう)じ て兵を進むる途中(とちう)官軍の 探偵(しのび)兵に行(ゆき)合ひ本営(まる)の置処(ありどこ)を 聞(きい)て速(すみや)やかに宇土(うとう)本営(ほんじん)へ とぞ来会(らいくはい)せられ 城中の堅固(かたさ)を語(かた)り尋(つゞい)て十四日には 八代口の官軍川尻を攻(せ)め取り山川 中佐君一中隊を具(ぐ)して熊本城に 至(いた)りたり明日十五日は雲勢(うん□)晴(は)れ わたり官軍大挙(たいきょ)して熊本城へ連(つゞ) 絡(き)を遂(と)げられしは心地よくこそ見へにけり 植木木留の賊は所々に火を懸(か)け煙り(けふり) に紛(まぎ)れ立田山の方へ散々(さん〱゛)後(うしろ)をみせ官軍 遥(はるか)に是を望(のぞ)むに日向路さして潰走(つぶれはしり)なす 去(さ)る程に昨今(さくこん)西郷隆盛の所在(ありしょ)がとんとはか らず或ひは船に浮(うか)むで琉球(りうきう)へ逃(のが)れた支(し) 那(な)へ落(をち)たなどゝ世説(うはさ)紛々(いろ〱)たるにいづれも信(しん) を置に足(た)らず只敗走(はいそう)の中にあるべし天 なるかな連戦(れんせん)数日(すじつ)も一日一瞬(いっしゅん)に邪雲(じゃうん) 散(ち)りにいたりは嗚呼(あゝ)歎(たん)ずへし跡の 確報(くはくほう)は次号(つぎ)を待(まち)給へかし 明治十年三月五日御届 同 四月 出版
資料集掲載番号
191
受入番号
2014-005-20
西南戦争錦絵判型
大判錦絵
彫師
彫師未詳
賛署名
金井徳兵衛筆
版元名
金井徳兵衛
版元住所
大阪府第三大区六小区新町南通一丁目十一番地
届出日
明治十年三月五日届出
本紙横
35.80
本紙竪
25.00
名札
西郷隆盛
前原一格
桐野利秋
村田新八
iiif_direction
right-to-left
UUID
7692f284-e9c7-413c-8d40-e20d1774d3cb