福地源一郎(ふくちげんいちろう)は天保十四年長崎(ながさき)/に生(むま)れ聡慧(そうけい)五才にて字(じ)を能写(よくうつ)す/七才にして書(しよ)を読(よ)む幼稚(いとけなき)より幕(はく)/臣(しん)たらんことを志し(こころざ)壮年(そうねん)にて政(せい)/府(ふ)に事(つか)へ欧州各国(おうしうかくこく)へ航(こう)すること/三回後(みたびのち)市井(しせい)に退(しりぞ)き商業社会(しようげうしやくわい)/を益(ま)す明治六年日報社々長(につはうしやしやちやう)と/なり西南(せいなん)の乱(らん)には戦地(せんち)の実況(じつけう)を/視察(しさつ)し 天顔(てんぐわん)に咫尺(しせき)し親(したし)く/奏上(そうじよう)す且(かつ)論理文勢(ろんりぶんせい)暢達(ちょうたつ)に/して真(しん)に仙筆(せんひつ)とも云(いふ)実(じつ)に明/治の一傑俊(けつしゆん)なり/東江述(落款)
資料集掲載番号
219
受入番号
2017-016-02
西南戦争錦絵判型
大判錦絵
彫師
彫師未詳
賛署名
東江筆
版元名
松木平吉
版元住所
両国吉川町二番地
届出日
明治十八年十月二十六日届出
本紙横
23.80
本紙竪
35.00
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UUID
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