By nakamura, 5 7月, 2024
中根(なかね)米七(よねしち) 旧(もと)会津(あいづ)の町奉行(まちぶぎゃう)を勤(つと)む 戊辰(ぼしん)の年官軍 奥羽(おうう)進撃(しんげき)の際(とき) 軍(いくさ)奉行として数(す) 度(ど)官兵の大軍と 交戦(こうせん)なして利を失(うしな)ひし 事なし故に中根隊として 恐(おそ)るる程(ほど)なる老功の謀士(ばうし)なりし が去年永岡久茂の党(とう)に 加(くはゝ)り思案稿の失策(しっさく)より 辛(から)うじて其場を脱(だっ)し 九州 赴(おもむ)き薩(さつ) 兵(へい)の 隊将(たいしゃう)となれり 村田新八(むらたしんはち) 前陸軍(ぜんりくぐん)少佐(せうさ)を務(つと)しが才智(さいち) 勝(すぐ)れ文武(ふんぶ)の道にくら からず西郷が右の腕(うで)と 頼(たのま)れしほどの 英雄なり今回(こたび) の暴挙(ばうきょ)にも 二陣(ぢん)の副将(ふくしゃう)と 仰がれ数度(すど)の戦争に衆(しう)に秀(ひい)でし 働(はたら)きなし敵味方の耳目をおどろかせり 西郷小兵衛 陸軍中将西郷従道君(りくぐんちうしゃうさいがうよりみちくん)の直舎弟(ちきしゃてい) にして兄隆盛(あにたかもり)の気性を受て勇猛無双(ぶそう)且(かつ) 軍畧に長じたる壮士なり 篠原(しのはら)の手に属(しょく)し 一隊の司令(しれい)長た り木留(きどめ)山鹿の ぐん戦(せん)に数ヶ所の 疵(きず)を蒙(かうむ)りしが いまだ絶命には いたらざりし といふ 石井武之助(いしいたけのすけ) 石井は佐賀(さが) 県(けん)の士族に して江藤(えとう) 新平が 党(とう)なるが 佐賀の 暴徒(ばうと)滅(めつ) 亡(ばう)のをり 辛(から)うじ て脱走し 九州にのがれ 遂に薩軍(さつぐん)の 一隊(いったい)長となり 屡々(しば)天兵に抗(くう)すと
資料集掲載番号
222
受入番号
2015-017-17
西南戦争錦絵判型
大判錦絵
作者
絵師未詳
彫師
彫師未詳
賛署名
筆者未詳
版元名
出版人未詳
届出日
届出日記載なし
本紙横
23.60
本紙竪
35.90
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UUID
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