By nakamura, 5 7月, 2024

▲西郷小平 菊五郎/●桐野利秋 団十郎/●「軍(ぐん)を統権(すべけん)をたもつ者(もの)は将(しやう)なり勝(かつ)を制(せい)し敵(てき)を破(やぶ)る者(もの)は/衆(しう)なりと三畧記(さんりやくき)にもいへるが如(ごと)く足下(ごへん)は我等(われら)が総督(そうとく)たる/隆盛殿(たかもりとの)の弟(おとゝ)にて勇畧(ゆうりやく)もつとも世(よ)に聞(きこ)え股肱(ここう)とたのむ人(ひと)なれば熊本(くまもと)県下(けんか)へ進入(しんにう)の先鋒(せんはう)となり/衆(しう)に抽(ぬき)んで功名(こうみやう)して舎兄(あにご)の本意(ほんい)を達(たつ)されよ ▲「そは仰迄(おほせまで)も候はず兄(あに)隆盛(たかもり)を初(はじ)めとして桐野(きりの)篠原(しのはら)/両将(りやうしやう)まで今度(こんと)の暴挙(ばうきよ)に與(くみ)せしうへはいかで拙者(せつしや)が違背(いはい)すべき去(さり)ながら我兵(わかへひ)の熊本県(くまもとけん)へ乱入(らんにう)するは/軍配(ぐんばい)甚(はなは)だ然(しか)るべからず夫故(それゆえ)拙者(せつしや)は先鋒(せんばう)に進(すゝ)んで無益(むえき)の討死(うちじに)を致(いた)すを功(こう)とは存(ぞん)じ申(もふ)さぬ●「こは異(こと)/なりたる足下(そつか)の詞(ことば)熊本県(くまもとけん)へ出(いて)ずして何(いづ)れの地(ち)より攻入(せめい)べきや ▲「今度(こたび)の一挙(いつきよ)は孤軍(こぐん)にて内国中(ないこくちう)の/大軍(たひぐん)を引受(ひきうけ)るべき企(くわた)てなれば虚(きよ)を張(はつ)て人(ひと)を迷(まよ)はせ実(じつ)を匿(かく)して敵(てき)に知(し)らせず熊(くま)もと城(じやう)を/取(とら)んとならば選(すぐ)りし二千の兵士(へいし)をば汽船(きせん)に乗(のつ)て天艸(あまくさ)より長崎港(ながさきこう)へ夜中(よちう)に送(おく)り/又(また)一隊(いつたい)は不意(ふい)に起(おこ)り県庁(けんちやう)を襲(おそ)ふ時(とき)は海陸(かひりく)一時(いちじ)の勝利(しようり)ならん●「して熊本(くまもと)の/鎮台(ちんだい)より繰出(くりだ)す兵(へひ)を喰止(くひとめ)る用心(ようじん)なくんば不覚(ふかく)を/とらん▲「夫(それ)には兼(かね)て別隊(べつたい)を設(まう)けて営所(えいしよ)に火(ひ)を放(はな)ち/尚(なほ)砲台(はうだい)を乗取(のつとら)ば只(たゞ)一挙(いつきよ)にして港(みなと)を取(とり)彼(かれ)に/海路(かいろ)の備(そなへ)ありとも之(これ)を救(すく)ふに由(よし)なからん是(これ)ぞ/謂(いは)ゆる迅雷(しんらい)耳(みゝ)を掩(おほ)ふに及ぬ妙策(めうさく)ならずや/●「さすれば官軍(くわんぐん)進撃(しんげき)の/便路(べんろ)を一時(いちじ)たつに似(に)たれど近国(きんごく)にある台兵(たいへい)が/此(この)変動(へんとう)を聞時(きくとき)は救(すくひ)の兵(へい)を出(いだ)すべし夫(それ)をも/防(ふせ)ぐ軍略(ぐんりやく)ありや ▲「夫等(それら)は最(いと)も心易(こころやす)し一手(いつて)/は県庁(けんちやう)営所(えいしよ)にせまり後軍(ごぐん)は川尻(かはじり)より/進(すゝ)んで城(しろ)を囲(かこ)む時は一日たりとも支(さゝ)ゆる/術(じゆつ)なく忽(たちま)ち落城(らくじやう)するならん長崎(ながさき)既(すで)に/我手(わがて)にあり熊本(くまもと)も又(また)陥(おちい)らば筑前(ちくぜん)筑後(ちくご)豊(ぶ)/前(ぜん)豊後(ふんご)は響(ひゞき)の物(もの)に応(おう)ずる如(ごと)く我(わが)軍門(ぐんもん)に帰順(きじゅん)すべしさすれば/九州(きうしう)一般(いつぱん)は忽(たちま)ち味方(みかた)の所領(しよりよう)とならん疾く檄文(げきぶん)を送(おく)られよ ●「足下(ごへん)の/軍配(ぐんばい)奇策(きさく)に似(に)たれど凡(およそ)今度(こんど)の企(くはだて)は二万に近き大軍にて我輩(わがはい)上京(じやうきやう)すると/聞(きか)ば誰(たれ)かは是(これ)を拒(こば)むべき熊本(くまもと)なんどは刃(やいば)に血(ち)ぬらず只(たゞ)一挙(いつきよ)にして通行(つうかう)せん/何(なに)かは軍慮(ぐんりよ)を費(ついや)すべき又(また)長崎(ながさき)は広場(ひろば)にて寡兵(くわへい)の守(まも)るべき地(ち)に非(あら)ず/政府(せいふ)の軍艦(ぐんかん)群(むら)がり来(き)て再(ふたゝ)び奪(うば)かへされなば兵機(へいき)屈(くつ)して/利(り)なきの道理(だうり)▲「すりやかほど迄(まで)申ても桐野公(きりのこう)には迂策(うさく)なる/一筋道(ひとすちみち)を上京(じやうきやう)さるるや ●「先(さき)んずれば人(ひと)を制(せい)し後(おく)れば人(ひと)/に征(せい)せらる昔(むか)し上杉謙信(うへすぎけんしん)が川中島(かはなかじま)の戦争(せんそう)に甲(かう)/陽(よう)の強敵(げうてき)を打破(うちやぶ)つたる顰(ひそみ)に倣(なら)ひ此(この)青竹(あおだけ)を麾(さい)にかへ/全軍(せんくん)を率(ひ)き陸路(りくぢ)より平押(ひらおし)に進(すゝ)む時(とき)は此青竹(このあおだけ)の/枯(かれ)ぬ間(ま)に東京(とうけい)迄(まで)も攻入(せめいる)べし気遣(きづか)ひめさるな小平殿(どの)/▲「遖(あつぱ)れ先手(さきて)の大将(たいしやう)と頼(たの)みし君(きみ)が斯迄(かくまで)に思慮(しりよ)を/ 決(けつ)されたる上(うへ)はお諌(いさ)め申も詮(せん)なき事(こと)/去迚(さりとて)陸路(くがち)の先鋒(せんぱう)を辞(じ)すれば命(いのち)/惜(をし)むに似(に)たれば真先駈(まっさきかけ)て押出(おしいだ)し/ 叶(かな)はぬ時(とき)は兼(かね)ての覚悟(かくご)二月の/空(そら)の淡雪(あはゆき)と ●「消(きえ)る間(ま)待(また)ぬ春(はる)/風(かぜ)に新政(しんせい)の旗(はた)吹靡(ふきなびか)せ味方(みかた)の勝(しよう)/利(り)はまたゝくひま ▲「とは云物(いふもの)の勝敗(しようはい)は/何(いづ)れを夫(それ)としら波(なみ)の寄(よせ)ては返(かへ)す/薩摩潟(さつまがた)●「千尋(ちひろ)の海(うみ)の底深(そこふか)く/巧(たく)みし暴挙(ばうきよ)の首途(かどいで)に東(ひがし)に当(あた)りし/破軍星(はぐんせい)ひかりを増(ませ)しは味方(みかた)の/吉瑞(きちずい)▲「山野(さんや)にひゞくあの/祝砲(しゆくほう)●「はていさましき/ ●▲「しゆつぢんじやなぁ/応需戦々堂主人戯作

資料集掲載番号
248
受入番号
1990-032-061
西南戦争錦絵判型
大判錦絵三枚続
作者
豊原國周[豊原国周]
彫師
彫工弥太刻
賛署名
戦々堂主人筆
版元名
福田熊次郎
版元住所
長谷川町二十番地
届出日
明治十年届出
左中右 上中下1
本紙1横
25.50
左中右 上中下2
本紙2竪
36.40
本紙2横
25.30
左中右 上中下3
本紙3横
25.50
本紙1竪
36.40
本紙3竪
36.80
名札
西郷小平 菊五郎
桐野利秋 團十郎
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right-to-left
UUID
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