▲西郷小平 菊五郎 ●桐野利秋 団十郎 ●「軍(ぐん)を統権(すべけん)をたもつ者(もの)は将(しゃう)なり勝(かつ)を制(せい)し敵(てき)を破(やぶ)る者(もの)は/衆(しう)なりと三畧記(さんりゃくき)にもいへるが如(ごと)く足下(ごへん)は我等(われら)が総督(そうとく)たる/隆盛殿(たかもりとの)の弟(おとゝ)にて勇畧(ゆうりゃく)もつとも世(よ)に聞(きこ)え股肱(ここう)とたのむ人(ひと)なれば熊本(くまもと)県下(けんか)へ進入(しんにう)の先鋒(せんはう)となり/衆(しう)に抽(ぬき)んで功名(こうみゃう)して舎兄(あにご)の本意(ほんい)を達(たっ)されよ ▲「そは仰迄(おほせまで)も候はず兄隆盛(あにたかもり)を初(はじ)めとして桐野(きりの)篠原(しのはら)/両将(りゃうしゃう)まで今度(こんと)の暴挙(ばうきょ)に與(くみ)せしうへはいかで拙者(せっしゃ)が違背(いはい)すべき去(さり)ながら我兵(わかへひ)の熊本県(くまもとけん)へ乱入(らんにう)するは/軍配甚(ぐんばいはなは)だ然(しか)るべからず夫故拙者(それゆえせっしゃ)は先鋒(せんばう)に進(すゝ)んで無益(むえき)の討死(うちじに)を致(いた)すを功(こう)とは存(ぞん)じ申(もふ)さぬ●「こは異(こと)/なりたる足下(そつか)の詞(ことば)熊本県(くまもとけん)へ出(いて)ずして何(いづ)れの地(ち)より攻入(せめい)べきや ▲「今度(こたび)の一(いっ)挙(きょ)は孤軍(こぐん)にて内国中(ないこくちう)の/大軍(たひぐん)を引受(ひきうけ)るべき企(くわた)てなれば虚(きょ)を張(はつ)て人(ひと)を迷(まよ)はせ実(じつ)を匿(かく)して敵(てき)に知(し)らせず熊(くま)もと城(じゃう)を/取(とら)んとならば選(すぐ)りし二千の兵士(へいし)をば汽船(きせん)に乗(のっ)て天艸(あまくさ)より長崎港(ながさきこう)へ夜中(よちう)に送(おく)り/又一隊(またいったい)は不意(ふい)に起(おこ)り県庁(けんちゃう)を襲(おそ)ふ時(とき)は海陸(かひりく)一時(いちじ)の勝利(しょうり)ならん●「して熊本(くまもと)の/鎮台(ちんだい)より繰出(くりだ)す兵(へひ)を喰止(くひとめ)る用心(ようじん)なくんば不覚(ふかく)を/とらん▲「夫(それ)には兼(かね)て別隊(べったい)を設(まう)けて営所(えいしょ)に火(ひ)を放(はな)ち/尚砲台(なほはうだい)を乗取(のっとら)ば只一挙(たゞいっきょ)にして港(みなと)を取彼(とりかれ)に/海路(かいろ)の備(そなへ)ありとも之(これ)を救(すく)ふに由(よし)なからん是(これ)ぞ/謂(いは)ゆる迅雷耳(しんらいみゝ)を掩(おほ)ふに及ぬ妙策(めうさく)ならずや●「さすれば官軍進撃(くゎんぐんしんげき)の便路(べんろ)を一時(いちじ)たつに似(に)たれど近国(きんごく)にある台兵(たいへい)が/此変動(このへんとう)を聞時(きくとき)は救(すくひ)の兵(へい)を出(いだ)すべし夫(それ)をも/防(ふせ)ぐ軍略(ぐんりゃく)ありや ▲「夫等(それら)は最(いと)も心易(こころやす)し一手(いつて)/は県庁営所(けんちゃうえいしょ)にせまり後軍(ごぐん)は川尻(かはじり)より/進(すゝ)んで城(しろ)を囲(かこ)む時は一日たりとも支(さゝ)ゆる/術(じゅつ)なく忽(たちま)ち落城(らくしゃう)するならん長崎既(ながさきすで)に/我手(わかて)にあり熊本(くまもと)も又陥(またおちい)らば筑前(ちくぜん)筑後(ちくご)豊(ぶ)/前(ぜん)豊後(ふんご)は響(ひゞき)の物(もの)に応(おう)ずる如(ごと)く我軍門(わがぐんもん)に帰順(きじゅん)すべしさすれば/九州一般(いっぱん)は忽(たちま)ち味方(みかた)の所領(しょりょう)とならん疾く檄文(げきぶん)を送(おく)られよ ●「足下(ごへん)の/軍配(ぐんばい)奇策(きさく)に似(に)たれど凡今度(およそこんど)の企(くはだて)は二万に近き大軍にて我輩上京(わがはいじゃうきゃう)すると/聞(きか)ば誰(たれ)かは是(これ)を拒(こば)むべき熊本(くまもと)なんどは刃(やいば)に血(ち)ぬらず只一挙(たゞいっきょ)にして通行(つうかう)せん/何(なに)かは軍慮(ぐんりょ)を費(ついや)すべき又長崎(またながさき)は広場(ひろば)にて寡兵(くゎへい)の守(まも)るべき地(ち)に非(あら)ず/政府(せいふ)の軍艦群(ぐんかんむら)がり来(き)て再(ふたゝ)び奪(うば)かへされなば兵機(へいき)屈(くっ)して/利(り)なきの道理(だうり)▲「すりやかほど迄(まで)申ても桐野(きりの)公(こう)には迂策(うさく)なる/一筋道(ひとすちみち)を上京(じゃうきゃう)さるるや ●「先(さき)んずれば人(ひと)を制(せい)し後(おく)れば人(ひと)/に征(せい)せらる昔(むか)し上杉謙信(うへすぎけんしん)が川中島(かはなかじま)の戦争(せんそう)に甲(かう)/陽(よう)の強敵(げうてき)を打破(うちやぶ)つたる顰(ひそみ)に倣(なら)ひ此青竹(このあおだけ)を麾(さい)にかへ/全軍(せんくん)を率(ひ)き陸路(りくぢ)より平押(ひらおし)に進(すゝ)む時(とき)は此青竹(このあおだけ)の/枯(かれ)ぬ間(ま)に東京迄(とうけいまで)も攻入(せめいる)べし気遣(きづか)ひめさるな小平殿(どの)/▲「遖(あっぱ)れ先手(さきて)の大将(たいしゃう)と頼(たの)みし君(きみ)が斯迄(かくまで)に志慮(しりょ)を/ 決(けっ)されたる上(うへ)はお諌(いさ)め申も詮(せん)なき事(こと)/去迚(さりとて)陸路(くがち)の先鋒(せんぱう)を辞(じ)すれば命(いのち)/惜(をし)むに似(に)たれば真先駈(まっさきかけ)て押出(おしいだ)し/ 叶(かな)はぬ時(とき)は兼(かね)ての覚悟(かくご)二月の/空(そら)の淡雪(あはゆき)と ●「消(きえ)る間待(ままた)ぬ春(はる)/風(かぜ)に新政(しんせい)の旗吹靡せ(ふきなびかせ)味方(みかた)の勝(しょう)/利(り)はまたゝくひま ▲「とは云物(いふもの)の勝敗(しょうはい)は/何(いづ)れを夫(それ)としら波(なみ)の寄(よせ)ては返(かへ)す/薩摩潟(さつまがた)●「千尋(ちひろ)の海(うみ)の底深(そこふか)く/巧(たく)みし暴挙(ばうきょ)の首途(かどいで)に東(ひがし)に当(あた)りし/破(は)軍星(ぐんせい)ひかりを増(ませ)しは味方(みかた)の/吉瑞(きちずい)▲「山野(さんや)にひゞくあの/祝砲(しゅくほう)●「はていさましき/ ●▲「しゆつぢんじやなぁ 応需戦々堂主人戯作
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資料集掲載番号
248
受入番号
1990-032-061
西南戦争錦絵判型
大判錦絵三枚続
彫師
彫工弥太刻
賛署名
戦々堂主人筆
版元名
福田熊次郎
版元住所
長谷川町廿番地
届出日
明治十年届出
左中右 上中下1
右
本紙1横
25.50
左中右 上中下2
中
本紙2竪
36.40
本紙2横
25.30
左中右 上中下3
左
本紙3横
25.50
本紙1竪
36.40
本紙3竪
36.80
名札
西郷小平 菊五郎
桐野利秋 團十郎
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UUID
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