By nakamura, 5 7月, 2024

山県有朋謹(やまがたありともつゝしん)で書(しょ)を西郷隆盛君(さいごうたかもりくん)の幕下(ばくか)に/啓(けい)す。有朋(ありとも)か君か相識(あひしる)や茲(こゝ)に年(とし)あるに由(よ)り/ 君が心底(しんてい)を知(し)るも亦深(またふか)し。曩(さき)に君(きみ)が故山(こさん)に/帰(かへ)りましてより馨咳(けいがい)に接(せっ)するの時(とき)なしと/いへども。旧雨(きうう)の情(しょう)は争(いかで)一日も懐(おもひ)に往来(わうらい)せざる/べき一旦滄桒(いったんさう〱)の変(へん)に遭(あ)ひ反(かえっ)て旗鼓(きこ)の間(あひだ)に相(あひ)/見(み)るべきとは図(はか)らざりきなり。抑君帰郷(そも〱きみきゝょう)ありて/このかた世上にては専(もっぱ)ら鹿児島(かごしま)県士(けんし)に異状(いじゃう)あり。/西郷こそ謀主(ほうしゅ)なるぞ。隆盛こそは張本(ちゃうぼん)なるぞと/申せども。有朋ひとりは之(これ)を斥(しりぞ)け。何条(なんでう)さることの/あるべきかと申し張(は)りたるに今日の事と相成/たるは是非(せひ)もなき次第(しだい)なり。然(しか)れとも有朋(ありとも)が/存(そん)ずる旨(むね)は。今日の事(こと)たるより君(きみ)の素志(そし)には非(あら)ざ/るべし。夫君(それきみ)の徳望(とくほう)は鹿児島(かごしま)壮士(さうし)が泰斗(たいと)なり。寔(まこと)/異心(いしん)を懐(いだ)きなば。何(なん)ぞ名義(めいぎ)機会(きくゎい)の無(なか)るべき。然(しか)るに/今日薩軍(さつぐん)の名義(めいき)とする所は。罪(つみ)を一二の官吏(くゎんり)に問(と)/はんと欲(ほっ)するに過(すぎ)ず。 是果(これはた)して義兵(ぎへい)の名(な)ありと申(まう)すべ/きか。 佐賀(さが)熊本山口(くまもとやまぐち)の謀反(むほん)もみな敗(やぶ)れ。 士民漸(しみんやうや)く/安堵(あんど)の思(おもひ)をなすに当り。 又この兵乱(へいらん)を起(おこ)す。 是(これ)機会(きくゎい)を/得(え)たりと申(まう)されず。君(きみ)ほどの老練明識(ろうれんめいしき)にて。かばかりの/こと知(し)り玉はざるにあらず。 又朝廷(またてうてい)の政務(せいむ)を讒誣(ざんぷ)する輩(ともがら)/の多(おほ)ければ。 さしもの西郷(さいごう)も讒言(ざんげん)に迷(まよ)ひ。今日の事ありと/申者の候へども。 寔(まこと)君その志(こゝろざし)あらば。軍騎(だんき)にて輦下(れんか)に/来(きた)り。 従容(せうよう)として利害(りがい)を言上(ごんじゃう)せられんに。何(なに)の妨(さまげ)の候/べきぞ。 思(おも)ふに鹿児島(かごしま)の壮士輩(そうしたち)は。初(はじめ)より時勢(じせい)の/真理(しんり)を辨え(わきまえ)。 人理(じんり)の大道(だいどう)を践(ふむ)ほどの才識(さいしき)なく。/  或(ある)は不良(ふりゃう)の唆(すゝめ)に慷慨(かうがい)の思(おもひ)を成(な)し。 或(ある)は一身(いっしん)の/恨(うらみ)に挹欝(ゆううつ)の嘆(なげ)きを懐(いだ)き。 一変(いっぺん)して悲憤(ひふん)の殺気(ざっき)/と成(な)り。 再変(さいへん)して砲烟(ほうえん)の妖氛(えうふん)となり。 其名(そのな)と云(い)ひ/其議(そのぎ)と云(い)ひ孰れ(いづれ)も西郷(さいがう)の為(ため)なりと申(まう)すに由(よ)り。/空(むな)しく此輩(このともがら)が方向(ほうこう)を誤(あやま)りて。死出(しで)の旅路(たびぢ)に赴(おもむ)/くを。 余所(よそ)に見做(みな)し。我(われ)ひとり余命(よめい)を永(なが)らふべきか。/  此上(このうへ)は是非(ぜひ)もなし。 我(わか)一死(いっし)を以(もっ)て壮士輩(さうしはい)に/与(あた)へんものと。初(はじ)めより覚悟(かくご)ありてのことなるべし。/ 嗚呼(あゝ)君(きみ)が心底(しんてい)こそ悲(かな)しけれ。 有朋苟(ありともいやしく)も君(きみ)/の知友(ちいう)なれば。君(きみ)が心底(しんてい)を悲(かな)しむもまた切(せつ)に/覚(おほへ)候。 然(しか)りといへども事(こと)すでに今日至(いた)り。/之(これ)を言(い)ふもまた益(えき)なし。 君胡為(なにすれ)そ早(はや)く/最期(さいご)を遂(と)げたまはざる。 戦争(せんさう)すでに数月(すげつ)/を閲(けみ)し。 両軍(りゃうぐん)の死傷(ししゃう)は日々(ひゝ)に数百(すひゃく)を重(かさ)ね。/朋友(ほういう)相殺(ころ)し。 骨肉相食(こつにくあひはみ)。 人情(にんじゃう)の忍(しの)ぶべか/らざるを忍(しの)ぶ。 いまだ此戦(このたゝかひ)より甚(はな)はだしきは/なく。 而(しか)して戦士(せんし)の心(こゝろ)を問(と)へば。 敵(てき)味方(みかた)にて/更(さら)に寸毫(すんもう)の恨(うらみ)あるに非(あら)ず王師(わうし)は兵隊(へいたい)/の武職(ぶしょく)に依(よ)り。 薩軍(さつぐん)は西郷(さいかう)の為(ため)にする/と云(い)ふに外(ほか)ならず。 それ一国(いっこく)の壮士(さうし)を率(ひきひ)て/天下(てんか)の大軍(たいぐん)を引受け劇戦(けきせん)数月(すげつ)。挫(くじ)/くるも敢(あへ)て撓(たゆ)まず。又以て君が威名(いめい)の/実(じつ)あるを示(しめ)すに足(た)りぬべし。 されども/君の麾下(はたもと)なる将校(しゃうかう)にて善戦(よくたゝかふ)ものは/槻(おほむね)に皆死傷(みなししゃう)し。 薩軍(さつぐん)の復為(またな)すべから/ざるや明(あきらか)なり何(なん)の望(のそみ)ありてか此期(このご)にいた/りてなほ徒(いたづら)に守戦(しゅせん)を事としたまふぞ。/ 早(はや)く自(みづ)から最期(さいご)を遂(とげ)られて。 此一挙(いっきょ)の君が/素志(そし)ならぬを露(あら)はしたまはん事こそ/ねがはしけれ。 漂(いさぎ)よく最期(さいご)の上(うへ)は戦争(せんさう)も夫迄(それまで)/にて相止(あひやみ)申べし。 噫(あゝ)天下(てんか)の君(きみ)を毀誉(きよ)するや。/極(きは)まれども君の心底(しんてい)を知るものは有朋(ありとも)/一人にても候まじ。 他年(たねん)の公論(こうろん)こそ朽惜(くちをし)く/候なり。 願(ねが)わくは有朋(ありとも)が苦心(くしん)を明察(めいさつ)あれ/涙(なみだ)を揮(ふる)つて書(かき)き下(くだ)す間(あひだ)意(こゝろ)を尽(つく)すを/得(え)ず  明治十年四月廿三日夜            熊本城中より申     九代目        市川団十郎 演

資料集掲載番号
254
受入番号
1990-032-067
西南戦争錦絵判型
大判錦絵三枚続
作者
豊原国周
彫師
彫師未詳
賛署名
筆者未詳
版元名
植木林之助
版元住所
堀江町二丁目二番地
届出日
明治十一年三月十一日届出
左中右 上中下1
本紙1横
23.00
左中右 上中下2
本紙2竪
35.10
本紙2横
23.90
左中右 上中下3
本紙3横
22.70
本紙1竪
35.00
本紙3竪
35.10
名札
西條高盛 市川團十郎
岸野年明 市川左團次
倉田進八郎 尾上菊五郎
iiif_direction
right-to-left
UUID
289d503b-b650-45ef-b788-faadeefcbf74