西條高盛 市川団十郎 今御身らが今(こん)日をふけいきなりとかこつのもいはゆる国(くに)の/おとろへにて時世(じせい)につれてのことなればたれのとがともいふ/にもあらず方(はう)今三府(ぷ)五港(こう)をはじめ都下(とか)は不学(がく)の/ものなきゆへかく開化(かいくゎ)の域(いき)にすゝめど遠境僻(えんきゃうへき)地に/いたりては有学(がく)のものまれなるゆへいまだぶんめいの/ときにいたらずさればこん日は政府(せいふ)のあつき/朝旨(し)をわきまへねば不平(ふへい)とならすもの/おほくそのおよばざるをしらずしてやゝ/すればととふをむすび煽動(せんどう)なすもの/あるゆへに天下(てんか)おだやかならさればこゝ/に全国(ぜんこく)のふけいきを生(しょうず)るなりおひ〱/遠境僻(えんきゃうへき)地迄も学校(がくかう)あらざる所(ところ)なく教諭(けうゆ)/おろそかならざれば少年輩(はい)は云(いふ)に及(およ)ばず其親(おや)たる頑固(ぐゎんこ)/の者(もの)も終(つい)に学事(じ)の徳(とく)をしり文明開化(めいかいくゎ)に進歩(しんぽ)なさば/凡(およそ)三千五百万の人民(じんみん)兄弟(てい)の心(こゝろ)を生(しょう)じ全国一和なす時(とき)はとヽう/を結(むす)ぶ者(もの)もなく全(まった)く天下泰(かたい)平にて鼓腹(こふく)の時に至(いた)るべし夫(それ)迚(とて)も/遠(とほ)からねばいまのこんくを打(うち)つがひ昔(むかし)がたりにしたがよい 百姓作蔵 市川左団次 かうお見受(うけ)申た所が戦争(せんそう)などにおかゝり合なくあなたは/楽(らく)な御身(こみ)分のお方のやうにぞんじられますいなかものゝ/事などは御存(ごぞん)じはあり升まいが先(まづ)百姓(しょう)といふ者は米(こめ)はもとより穀物(こくもつ)/野菜(やさい)作(つく)って売(う)るので今日の活計(くわっけい)を立(たて)て参(ま)り升が四五年此かた/ふけいきに物の売(う)れのわるい所(ところ)へ此春(はる)からのひごの戦争(せんそう)長(なか)いことも/有(ある)まいと思ひの外(ほか)に四月ごし立(たっ)てもいまだにかた付ずばつたり物が/うれなくなり私計(わたしばか)りじやありませぬ此近郷近在(きんごうきんざい)のぶげんはしらず/小前(こまへ)のものはひといなんぎをいたし升る/ヿ○その西條(さいでう)様といふは御一新(しん)のはじめから人に/すぐれて天朝(てんてう)へ力(ちから)を尽(つく)したお方ゆへ/くんこうによって大将(たいしゃう)の位(くらい)にまで/のほりしが何か心にかなはぬことでも/あつてのことかぞんじませぬが辞職(じしょく)/なされて国(くに)へかへり私学校(しがくこう)を取立(とりたて)て/多(おほ)くのせいとへけうゆなしひまさへ/あれば田はたへ出て農業(のうげふ)なすを/たのしみに其身におごりはすこしもなくこまる者に/ほどこせどんなりつぱなおかたでも又は水呑百姓(みずのみひゃくしゃう)/でもおなじやうになさるゆへせかいにあんなおかたは/ないと薩日隈(さつひぐう)の三ヶ国では神(かみ)か仏(ほとけ)のやうにしつて/わづか三才の子供(こども)でも西條(さいでう)様といふ名をしたふこの/人望(じんぼう)は金銀(きん〱゛)ではできぬことうけたまはれば学問(がくもん)も/すぐれたお方でありながら何(なに)ゆへこんなくはだてをなさ/れましたことなるかぐまいの生(うま)れの私共(わたくしども)には一円(えん)がてんが参り升ぬ
IIIF Image
資料集掲載番号
262
受入番号
1990-032-074
西南戦争錦絵判型
大判錦絵三枚続
彫師
彫工弥太刻
賛署名
筆者未詳
版元名
福田熊次郎
版元住所
長谷川町二十番地
届出日
明治十一年三月届出
左中右 上中下1
右
本紙1横
24.10
左中右 上中下2
中
本紙2竪
35.20
本紙2横
24.10
左中右 上中下3
左
本紙3横
24.00
本紙1竪
35.70
本紙3竪
35.50
名札
西條高盛 市川團十郎
百姓作蔵 市川左團次
岸野の妻おあき 岩井半四郎
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right-to-left
UUID
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