By nakamura, 5 7月, 2024

西條高盛 市川団十郎   今御身らが今(こん)日をふけいきなりとかこつのもいはゆる国(くに)の/おとろへにて時世(じせい)につれてのことなればたれのとがともいふ/にもあらず方(はう)今三府(ぷ)五港(こう)をはじめ都下(とか)は不学(がく)の/ものなきゆへかく開化(かいくゎ)の域(いき)にすゝめど遠境僻(えんきゃうへき)地に/いたりては有学(がく)のものまれなるゆへいまだぶんめいの/ときにいたらずさればこん日は政府(せいふ)のあつき/朝旨(し)をわきまへねば不平(ふへい)とならすもの/おほくそのおよばざるをしらずしてやゝ/すればととふをむすび煽動(せんどう)なすもの/あるゆへに天下(てんか)おだやかならさればこゝ/に全国(ぜんこく)のふけいきを生(しょうず)るなりおひ〱/遠境僻(えんきゃうへき)地迄も学校(がくかう)あらざる所(ところ)なく教諭(けうゆ)/おろそかならざれば少年輩(はい)は云(いふ)に及(およ)ばず其親(おや)たる頑固(ぐゎんこ)/の者(もの)も終(つい)に学事(じ)の徳(とく)をしり文明開化(めいかいくゎ)に進歩(しんぽ)なさば/凡(およそ)三千五百万の人民(じんみん)兄弟(てい)の心(こゝろ)を生(しょう)じ全国一和なす時(とき)はとヽう/を結(むす)ぶ者(もの)もなく全(まった)く天下泰(かたい)平にて鼓腹(こふく)の時に至(いた)るべし夫(それ)迚(とて)も/遠(とほ)からねばいまのこんくを打(うち)つがひ昔(むかし)がたりにしたがよい 百姓作蔵  市川左団次 かうお見受(うけ)申た所が戦争(せんそう)などにおかゝり合なくあなたは/楽(らく)な御身(こみ)分のお方のやうにぞんじられますいなかものゝ/事などは御存(ごぞん)じはあり升まいが先(まづ)百姓(しょう)といふ者は米(こめ)はもとより穀物(こくもつ)/野菜(やさい)作(つく)って売(う)るので今日の活計(くわっけい)を立(たて)て参(ま)り升が四五年此かた/ふけいきに物の売(う)れのわるい所(ところ)へ此春(はる)からのひごの戦争(せんそう)長(なか)いことも/有(ある)まいと思ひの外(ほか)に四月ごし立(たっ)てもいまだにかた付ずばつたり物が/うれなくなり私計(わたしばか)りじやありませぬ此近郷近在(きんごうきんざい)のぶげんはしらず/小前(こまへ)のものはひといなんぎをいたし升る/ヿ○その西條(さいでう)様といふは御一新(しん)のはじめから人に/すぐれて天朝(てんてう)へ力(ちから)を尽(つく)したお方ゆへ/くんこうによって大将(たいしゃう)の位(くらい)にまで/のほりしが何か心にかなはぬことでも/あつてのことかぞんじませぬが辞職(じしょく)/なされて国(くに)へかへり私学校(しがくこう)を取立(とりたて)て/多(おほ)くのせいとへけうゆなしひまさへ/あれば田はたへ出て農業(のうげふ)なすを/たのしみに其身におごりはすこしもなくこまる者に/ほどこせどんなりつぱなおかたでも又は水呑百姓(みずのみひゃくしゃう)/でもおなじやうになさるゆへせかいにあんなおかたは/ないと薩日隈(さつひぐう)の三ヶ国では神(かみ)か仏(ほとけ)のやうにしつて/わづか三才の子供(こども)でも西條(さいでう)様といふ名をしたふこの/人望(じんぼう)は金銀(きん〱゛)ではできぬことうけたまはれば学問(がくもん)も/すぐれたお方でありながら何(なに)ゆへこんなくはだてをなさ/れましたことなるかぐまいの生(うま)れの私共(わたくしども)には一円(えん)がてんが参り升ぬ

資料集掲載番号
262
受入番号
1990-032-074
西南戦争錦絵判型
大判錦絵三枚続
作者
豊原国周
彫師
彫工弥太刻
賛署名
筆者未詳
版元名
福田熊次郎
版元住所
長谷川町二十番地
届出日
明治十一年三月届出
左中右 上中下1
本紙1横
24.10
左中右 上中下2
本紙2竪
35.20
本紙2横
24.10
左中右 上中下3
本紙3横
24.00
本紙1竪
35.70
本紙3竪
35.50
名札
西條高盛 市川團十郎
百姓作蔵 市川左團次
岸野の妻おあき 岩井半四郎
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UUID
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