市川団十郎 ヿ咄しも過(すぎ)し辰年(たつどし)から東西南(あちらこち) 南(ら)と功名仕(はたらい)て大将株(ばんとふかぶ)には成(なっ)たれど 気詰(きづま)り故(ゆへ)に暇(いとま)を貰(もら)ひ宅(うち)へ帰(かへっ)て 夫(それ)からは友達(ともだち)寄(よ)せて 喧𠵅(けんくゎ)を始(はじ)め多人数(おゝくのひと) に心労(しんぱい)させ夫(それ)でも 休(やめ)ねへ 西郷(さいがう)の高(たか) 岩井半四郎 ヿ元は私(わた)しも高(たか)さん と一所(いっしょ)に勤(つとめ)て居(い)た時(とき)に 密(しの)び〱に言替(いゝかわ)し 相談(そうだん)づくで仕(いとま)を辞世間構(もらいせげんかま) わずお前(まへ)の傍何様(そばとふとも)成指揮(さしづ) をしておくれ命(いのち)もいらない 桐(きり)のヽおとし 尾上菊五郎 ヿ拙者(おいら)の伯父(をじき)も無法者(むほうもの) 無利(くだらぬ)喧𠵅(けんくゎ)を仕出(しいだ)して 其末(とう〱)萩(はき)で撃殺(うちころ) され夫(それ)から悔(くや)し い〱と時節(じせつ) を待(まっ)て今こヽ にかすり の兄分(あにき) の 迎(むけ)ひを幸(せへゎ)へ暴徒(あばれ)に出(で)かけた前原(まへばら)の市(いち) 中村芝翫 ヿ命知(いのちし)らずの篠原(しのはら)と私(わたし)の親父(おやじ)も 仇名(あだな)の通(とを)り原巨魁(ほっとふにん)が高(たか)さんなら 一所(いっしょ)に進(いっ)て死迄(しぬまで)は加勢(てだすけ)をして 働(はたらい)てとう〱戦死(いけない)吉次越(きちじごへ)お邪魔(じゃま) ながらもやじ馬(うま)とやけにでかけた 篠原(しのはら)おくに ヿ市川左団次 今度(こんど)喧𠵅(けんくゎ)の始(はしめ)より 副将(きゃうだいぶん)になるからは一(いち)ばん 図抜(づぬけ)に暴戦(あばれ)んと相(あい) 手(て)を嫌(きら)わず打斃(うちたほ)し 鬼(おに)と名(な)に呼(よ)ぶ 村田(むらた)の新八(しんぱち)
IIIF Image
資料集掲載番号
266
受入番号
1990-032-079
西南戦争錦絵判型
大判錦絵三枚続
彫師
彫工平刻
賛署名
筆者未詳
版元名
上村清左衛門
版元住所
浅草並木町一番地
届出日
届出日記載なし
左中右 上中下1
右
本紙1横
23.70
左中右 上中下2
中
本紙2竪
34.40
本紙2横
24.90
左中右 上中下3
左
本紙3横
23.50
本紙1竪
34.60
本紙3竪
34.60
届出日(西暦)
明治十年十月一日御届
名札
西郷の高 市川團十郎
桐ののおとし 岩井半四郎
前原の市 尾上菊五郎
篠原おくに 中村芝翫
村田の新八 市川左團次
iiif_direction
right-to-left
UUID
14ad03ff-74ee-4654-ba5b-a0a416aba7ca