兵書に曰勝(しゃう)/負(はい)は戦場(せんしゃう)の常/也百度戦ひて百度負(はいす)/とも何ぞ悔(くゆ)るに不有漢(かん)高(かう)/祖(そ)は七十余度敗戦(はいせん)をなし/後(のち)廣河(か□か)の一戦(せん)に勝(しゃう)を得(へ)て四/百余年の基/を開きも玉ふと/爰(こゝ)に西郷隆盛/か其諸行を聞(きく)に明/治の初より皇国に儀名を/を輝(かゝやか)し国事に粉骨(ふんこつ)を終(つう)/されしが同年四年朝鮮(ちゃうせん)国/より来使(しかふ)に付征韓(せいかん)/義を入しかと評(しゃう)定分/々として不兵と也しかば/隆盛其職(しょく)にあつて其/義を入れわすは何(なん)の益(へき)かあらんと大将の官を/辞(じ)し古里(こきゃう)に去(さ)りて私学校(しかくかう)を立専(もっぱ)ら徳を布/鱞寡(かんか)孤(こ)独(どく)を恤(かゞ)む西方(ほゝ)の人民隆盛を随(したう)こと/小児の乳房(ちぶさ)を随(した)ふる如く各々志しを煩(かたむ)(傾カ)け西/郷左右には相(桐カ)野別府のともから有て勇士は治/世に乱を忘(わすれ)ずと同国桜島にて弾薬器機/を製造なせしが豈謀(あにはから)んや政府より疑惑(きわく)/の掛けさせられしかは隆盛止ことをへす西/南に動騒(どうらん)なし今かへ生土鹿児島の城(しろ)山にあ/りしか去る九月廿三日の夜子息(ぞく)菊太郎真身(ましん)/赤(せき)に染ながら味方の大事(だいじ)と註進(ちうしん)なすを/隆盛聞て左右を見返り某(それが)し適々(たま〱)蜂起(ほうき)/に及/べしと/も宿(しく)/運(うん)の拙(つた)なく/味方は戦ふことに/敗(はい)せきし胠股(こかう)の者は龍門/原上の土に皈(き)し今は某が一/辟(ひ)の刀を扶(たすけ)す某今より敵に駈向ひ運(うん)を天に任(まか)し/有無(うむ)存亡(ほう)の一戦(せん)をなさん若(もし)戦場にて討死なさば/是今世の別れ也と飼に飼たる馬に股(また)がり/痛手(いたで)ながらも菊太郎親子手勢を引供/してコシキガ島に落行(をちゆく)とは露白(つゆしら)菊/の末つむはな菊三郎於杉(おすき)も供に/妻兄弟(つまはらから)か見送るも目には溢るゝ紅(かう)/涙(るい)や彼漠楚の戦ひに項羽(かうう)がさいごの出陣(しつぢん)/を悲みし虞氏(くし)か数行(すかう)の涙(なみだ)の雨も今日は我/身に降(ふ)りかゝる雲(くも)る目元を拭(ぬぐ)ひつゝ夫子の/姿見ゆる迄足元立て見送りしが□に姿(すがた)も/雲霧(くもきり)に隔たりければ思(おも)わずも一声呼ひて伏搏を菊三郎は扶起しさま〱に介抱なし家を/捨身を捨(すつ)るは武士の常なりと其言葉(は)に/磨(はけ)まされ於杉も賢(□□)こと歎(なげ)きを止賢(かしく)くも/ゐふ者かな夫てこそ我君の御種(おんたね)妄(わらは)/迷(とて)も隆盛か妄(しゃう)と呼れし/身にしあれは君の討/死外に見て何て面北/に存命(ながえん)敵一人/也とも討度て死出三津(てさんず)も御供なさん/と犬なる長刀右手に携さへ左手に引し莟(つぼ)みの花若子諸(もろ)ともに敵に切入乱/軍のなかに討死なす孝子烈女が功(いさを)し感るに残りあり 笑門舎述
IIIF Image
資料集掲載番号
273
受入番号
2014-006
西南戦争錦絵判型
大判錦絵三枚続
彫師
彫師未詳
賛署名
笑門舎筆
版元名
深瀬亀次郎
版元住所
深川富吉町五番地
届出日
明治十年十月一日届出
左中右 上中下1
右
本紙1横
25.20
左中右 上中下2
中
本紙2竪
36.90
本紙2横
25.50
左中右 上中下3
左
本紙3横
25.30
本紙1竪
36.90
本紙3竪
37.00
名札
西郷隆盛
西郷の妻 おすぎ
西郷長男 菊次郎
西郷次男 菊三郎
西郷の臣 早川五郎
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UUID
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