By nakamura, 5 7月, 2024

兵書に曰勝(しゃう)/負(はい)は戦場(せんしゃう)の常/也百度戦ひて百度負(はいす)/とも何ぞ悔(くゆ)るに不有漢(かん)高(かう)/祖(そ)は七十余度敗戦(はいせん)をなし/後(のち)廣河(か□か)の一戦(せん)に勝(しゃう)を得(へ)て四/百余年の基/を開きも玉ふと/爰(こゝ)に西郷隆盛/か其諸行を聞(きく)に明/治の初より皇国に儀名を/を輝(かゝやか)し国事に粉骨(ふんこつ)を終(つう)/されしが同年四年朝鮮(ちゃうせん)国/より来使(しかふ)に付征韓(せいかん)/義を入しかと評(しゃう)定分/しとして不兵と也しかば/隆盛其職(しょく)にあつて其/義を入れわすは何(なん)の益(へき)かあらんと大将の官を/辞(じ)し古里(こきゃう)に去(さ)りて私学校(しかくかう)を立専(もっぱ)ら徳を布/鱞寡(かんか)孤(こ)独(どく)を□(かゞ)む西方(ほゝ)の人民隆盛を随(したう)こと/小児の乳房(ちぶさ)を随(した)ふる如く各々志しを煩(かたむ)(傾カ)け西/郷左右には相(桐カ)野別府のともから有て勇士は治/世に乱を忘(わすれ)ずと同国桜島にて弾薬器機/を製造なせしが豈謀(あにはから) んや政府より疑惑(きわく)/の掛けさせられしかは隆盛止ことをへす西/南に動騒(どうらん)なし今かへ生土鹿児島の城(しろ)山にあ/りしか去る九月廿三日の夜子息(ぞく)菊太郎真身(ましん)/赤(せき)に染ながら味方の大事(だいじ)と註進(ちうしん)なすを/隆盛聞て左右を見返り某(それが)し適々(たま〱)蜂起(ほうき)/に及/べしと/も宿(しく)/運(うん)の拙(つた)なく/味方は戦ふことに/敗(はい)せきし胠股(こかう)の者は龍門/原上の土に皈(き)し今は某が一/辟(ひ)の刀を扶(たすけ)す某今より敵に駈向ひ運(うん)を天に任(まか)し/有無(うむ)存亡(ほう)の一戦(せん)をなさん若(もし)戦場にて討死なさば/是今世の別れ也と飼に飼たる馬に股(また)がり/痛手(いたで)ながらも菊太郎親子手勢を引供/してコシキガ島に落行(をちゆく)とは露白(つゆしら)菊/の末つむはな菊三郎於杉(おすき)も供に/妻兄弟(つまはらから)か見送るも目には溢るゝ紅(かう)/涙(るい)や彼漠楚の戦ひに項羽(かうう)がさいごの出陣(しつぢん)/を悲みし虞氏(くし)か数行(すかう)の涙(なみだ)の雨も今日は我/身に降(ふ)りかゝる雲(くも)る目元を拭(ぬぐ)ひつゝ夫子の/姿見ゆる迄足元立て見送りしが□に姿(すがた)も/雲霧(くもきり)に隔たりければ思(おも)わずも一声呼ひて伏搏を菊三郎は扶起しさま〱に介抱なし家を/捨身を捨(すつ)るは武士の常なりと其言葉(は)に/磨(はけ)まされ於杉も賢(□□)こと歎(なげ)きを止賢(かしく)くも/ゐふ者かな夫てこそ我君の御種(おんたね)妄(わらは)/迷(とて)も隆盛か妄(しゃう)と呼れし/身にしあれは君の討/死外に見て何て面北/に存命(ながえん)敵一人/也とも討度て死出三津(てさんず)も御供なさん/と犬なる長刀右手に携さへ左手に引し莟(つぼ)みの花若子諸(もろ)ともに敵に切入乱/軍のなかに討死なす孝子烈女が功(いさを)し感るに残りあり          笑門舎述

資料集掲載番号
274
受入番号
2015-017-03
西南戦争錦絵判型
大判錦絵三枚続
作者
梅堂国政(三代目 歌川国貞)
彫師
彫師未詳
賛署名
笑門舎筆
版元名
深瀬亀次郎
版元住所
深川富吉町五番地
届出日
明治十年十月一日届出
左中右 上中下1
本紙1横
24.20
左中右 上中下2
本紙2竪
35.40
本紙2横
24.20
左中右 上中下3
本紙3横
24.20
本紙1竪
35.40
本紙3竪
35.40
名札
西郷隆盛
西郷長男 菊次郎
西郷次男 菊三郎
西郷の妻 おすぎ
西郷の臣 早川五郎
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UUID
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