By nakamura, 5 7月, 2024

楠正成星 「よくきけよ西郷吉之助御身は わかいじぶんから 天朝をおもひ 忠義無二にてみなかんしんせぬ ものなくことに正三位までにいたり われ〱はじめよろこび 勤王一等 なりとおもひのほかこのたびの ぼうきよはなにごとぞいくさは われ〱よりかうはあれどぞくの 名義は万世までのこるはあゝ 清磨呂君かなしい〱 おいらん 「あゝいそが しいこと〱一とばんに二十 人ぐらいのまはしちよつ巡査のり 御方なら日夜はおろかねるめも ねずにおかねほしきにくがいもいとひま せんしかしいくさがおさまれはみなはんが おくにへおかへりなんすのでこゝろぼそい いくさがどん〱あればいゝんでありんす 小ぞう 「いくさがもつとあればいゝ店はいそがしいし/ふくはどん〱みしんでしたてそのいそ/がしいまぎれにぜにをもらつて使の/たびにかひくひができるこんないゝ事は/あるまいがあゝ小ぞうみやうりが/つきたのかどうぞいくさの/あるやうにしておくれ 山師 「西郷さんもつとがまんしていくさを やつてくださればいゝのにこゝが かんじんさうばがさがると たいへん〱し郷んだいかぎりを してもいおいつかねへえゝえゝ ざんねん〱 こんさい 「西郷大明神さま〱あれほどおねかひ申上 ますいくさがながくだんなはうちじにを なさったらかわいゝ男とそひ ぶしをしてきたいおかねはもち     ろんそうなりますればかねの とりいおっとわたしはうそつきで とりいがありません かねかしにでもなり ませう こんや諸工人 「このあいだうちのいそ がしさおふくろも大きに よろこんでいたがいくさが              おさまれば だん〱 ひまに なる とかな わぬもうすこし どん〱やって くだされば いゝ のに はいたつ 「貴社なぞはせんそうからいそがしいこと〱/ぼくも月きうがましはいたつはほねが/をれるがいやもうかねがはいるのが/ うれしいなんでも新聞といふからめづらしく/づどんとめさきがかわらなければ/                          いかねへ 清正 「西郷がしろをかこんで 二十四度せめるしの原 らうぜうをしてふせぐは谷君の はたらきさすが陸軍少将たけ 又一つにはわがはいのきつきし 城はいかゞ西郷氏どうだ ねへえへん けん下の百姓 「西郷が わしらのけん下 へおしこんできて でんぢでんはたはふみ あらされうちは やかれてしまひ ほんにみづ のみ百せうに なってしまった くやしい〱 ばゝあ 「おらがたったひとりのまごをかはいゝことゝ/たのしみにしているうちおかみから兵たいに/めされなきのなみだで出たがこんどの/いくさにしんでしまったこれも/ 西郷のおかげであるくやしくって/ならぬあゝかなしや〱 平将門星 「あらうれしや〱よろこ はしやおとにきこへし 西郷をとふ〱ぞくに 引ずりこみうち死を させたうへからは 身どもゝぞくの名は こうせいまで〱 商人 「わたくしどもはじめしよ商人は 西郷がとんだことをしだした からあきなひはひまだし ゆうづうはきかずいやはや もうよわりきりました このいくさがながくつゞい てはひものになるところ だつた おつかあ 「ちやんやはやくこないか 西郷ぼしがおちた〱うちじにの とき首がないといふはなしだが そらの中は大へん〱からだが かくれてくびばかり みへる 紀友 「おれも九洲ではながく たゝかひみつ仲はじめなやまし 名を万代にのこしたが 西郷氏にはとても およ[ ]ん しいれ画工 「ぼくなんぞはてんぐをいふが 人がかくものをもうてこんには へいこう〱家内おほでは あるしうまい酒一つぱい のまこともならぬもう てんぐもよそふえへん〱 ねこ 「わたいらもいくさからすこしも おきやくはなしぜいはおさめ なくってはならずおっかあ には小ごとをきくし こんなばか〱しい 事はない 大工 「おれなんざあせんそうこのかた ひまなこと〱火事があつても たれもふしんはせずいやもう よわりきったぞぺらんめい 車ひき 「いやもうひまで 〱いくさ からこまり きる車のはだいはたまるし おやかたにはせつかれ がきにはなかれ このとふり やせたいま 〱しい

資料集掲載番号
279
受入番号
2013-17
西南戦争錦絵判型
大判錦絵三枚続
作者
早川松山
彫師
彫師未詳
賛署名
筆者未詳
版元名
門戸松蔵
版元住所
浜町二丁目二番地
届出日
明治十年十月三日届出
左中右 上中下1
本紙1横
24.80
左中右 上中下2
本紙2竪
36.80
本紙2横
25.40
左中右 上中下3
本紙3横
24.80
本紙1竪
36.90
本紙3竪
36.90
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