西郷氏は隆盛旧称(たかもりきうしゃう)吉之助南洲(なんしう)と号す 天資超然不群(てんしちゃうぜんふぐん)にして島津(しまづ)家に仕へ其 始めは側納戸(そばなんど)をつとめしが其頃松代(まつしろ)藩(はん)佐久(さく) 間象山幕臣勝海舟(ましゃうざんばくしんかつかいしう)君等と海外(かいくゎい)の学(がく)を 研究(けんきう)し嘉永(かえい)年間に至て其名初めて顕(あらは)る 嘉永癸丑(かえいきちう)の歳(とし)亜艦浦賀(あせんうらか)に渡来(とらい)せしより幕(ばく)府の閣老(かくらう)/不得止(やむをえず)天下(てんか)の形勢(けいせい)を洞察(どうさつ)し異船(いせん)を打払(うちはら)はさるより諸藩(しょはん)/其幕政(ばくせい)の因循(いんじゅん)を密(ひそか)に慷概(かうがい)し頗(すこぶ)る紛櫌(ふんやう)の萌(きざし)あり此/時吉之助お君命(くんめい)に因(よつ)て京師(けいし)に赴(おもむ)き近衛公(このえこう)の愛顧(あいこ)を蒙(かうむ)る 安政(あんせい)五年の秋(あき)幕府(ばくふ)水戸(みと)越前(えちぜん)其他(そのた)三藩(はん)に謹(きん)/ 慎(しん)を命(めい)ず時(とき)に西郷氏も京師(けいし)に在(あ)りて屢々成(しば〱じゃう)/就院(じゅいん)の月照等(げっしゃうら)と国家(こくか)の事(こと)を談(だん)じ終(つひ)に月照(げっしゃう)と/幕府(ばくふ)の逮捕(たいほ)をまぬがれ薩海(さつかい)に身(み)を沈(しづ)めて後(のち)蘇生(そせい)す 入水(じゅすい)の後旧藩(きうはん)の救助(きうぢょ)を/得(え)て竟(つひ)に蘇生(そせい)し名(な)を菊池(きくち)/源吾(げんご)と改(あらた)む然(しか)れ共(ども)幕府(ばくふ)の嫌疑(けんぎ)を/ 憚(はゞ)かり藩吏(はんり)同(どう)氏を大島に流(なが)す島に在(あ)ること数年(すねん)にして/自(みつか)ら大島三右衛門と称(しょう)す志(こゝろざ)しいよ〱堅(かた)く学識(がくしき)すこぶる進(すゝ)む 文久(ぶんきう)三年 朝廷(てうてい)幕府(ばくふ)の間頗(あひだすこぶ)る物議(ぶつぎ)を醸(かも)し三條/公以下七卿(きゃう)長州に下らるの途中(とちう)三田尻(じり)より原道太と/いふ士(し)を大島(しま)に遣(つかは)し西郷氏(さいがうし)を長州に/[ ]る終(つひ)に原氏渡島(はらしととう)を果(はた)さす其後藩(はん)/主赦([ ])して再(ふたゝ)び藩政(はんせい)に参与(さんよ)せしむ 慶應([ ]おう)元年幕府(ばくふ)征(せい) 長の兵を挙(あ)ぐるや 先(さき)に長藩([ ]はん)京師に乱(らん) を為(な)す時(とき)に薩(さつ)藩の 将(しやう)となり長軍(ちゃうぐん)を撃(うつ)こと [ ]同氏(とうじ)の指揮(しぎ)する処(ところ)に [ ]その後薩(のちさつ)長の [ ]藩(はん)和議(わぎ)遂(つひ)に成(な) る等専(とうもっは)ら西郷氏 の尽力(じんりょく)という同三年 十二月前(ぜん)将軍慶喜公(けいきこう) 大政奉還(たいせいほうくゎん)の際(さい) 朝廷(てうてい)氏を 召(しゃう)て大会議(だいくわいぎ)に参与(さんよ)せし む而(しかし)て東征(とうせい)の参謀(さんぼう)たり 慶應(けいおう)の末徳川 慶喜公謹慎恭順(きんしんきゃうじゅん)して 上野に屏居(へいき)す西郷氏は官軍東征(とうせい) の参謀(さんばう)にて既に先鉾(せんぱう)品川に入る 時に勝安芳君(かつやすよしくん)出て恭順(きゃうじゅん)の情状(じゃう〱)を 陳(の)ぶ既に江戸城を引渡しの 事(こと)を談(たん)ず是氏(ときし)が尽力(じんりょく)という 明治維新奥羽征討(めいじいし[ ]うせいと[ ])の参謀(さん[ ]う)とな[ ]氏(し)が計策(けいさく)空(むな)し/からず戦(たゝか)ふごとに勝利(しょうり)を得(え)強敵会藩竟([ ]うてきくゎいはんつひ)に降伏(くうふく)し/尋(つゞい)て奥羽全(おううまった)く平定す 朝議(てうぎ)同氏が偉功(いこう)を賞(しょう)/せられ賞典禄(しょうてんろく)二千石を賜(たま)ひ後(のち)参議(さんぎ)に任(にん)ず 明治(めいぢ)四年正三位(い) に叙(ぢょ)せられ同六年 [ ]月陸軍大将(りくぐんたいしゃう)に任(にん)じ参(さん) 議を兼(かね)しむ氏(し)はつねに 倹約(けんやく)質素([ ]そ)をもつぱらとし て旧藩(きうはん)の窮士(きうし)を撫育(ぶいく) し恩賜(おんし)の賞典禄(しょうてんろく)を以(もっ) て学資(がくし)その他(た)に宛(あ)て仮(かり) にも奢侈(しゃし)のおこなひなく 大に人望(じんばう)を同氏(どうし)に帰(き)す ること世人(せじん)の知(し)る所(ところ)なり 同五月征韓(せかん) の論合(ろんあは)ずし てその職を辞(じ) し本国(ほんごく)に帰(か)へらる 征韓(せいかん)の論合(ろんあは)ず重職(ぢゅうしょく)を辞(じ)し本国に/在(あ)りと雖(いへど)も陸軍(りくぐん)大将の官は旧(もと)の如しと/朝廷数々(てうていしば〱)召(めさ)ると雖もただ病(やま)ひと称(しょう)して応(おう)/ぜずたとへ外人對面(たいめん)を乞(こふ)とも更(さら)に出て面(めん)せず麁(そ)/服(ふく)を着(ちゃく)して常(つね)に荒蕪(くゎうぶ)を開墾(かいこん)するを以て身の楽(たのし)みとす 郷邑(きゃうゆう)に私学校(しがくかう)を設立(せつりう)し書生を教育(けういく)す同/氏時として校に臨(のぞ)むといへども家人も先生の/出る所を知る能(あた)はずと常(つね)に洋犬(やうけん)を愛(あい)して自ら山/野に猟(かり)し終日(ひねもす)得物(えもの)を調理(てうり)して麁飯(そはん)を食し夜(よ)/は読書(どくしょ)して他事(たじ)を不顧(かえりみず)と云 明治十年二 月私学校党(しがくかうとう)磯(いそ) の浜弾薬所(はまだんやくしょ)に乱入(らんにう)し之を 掠奪(れうだつ)し続(つゞひ)て警部(けいぶ)中原氏 以下西郷を暗殺(あんさつ)せんとするは 在廷(ざいてい)貴顕(きけん)の内命(めい)なりと偽名(ぎめい)を もふけ暴徒(ばうと)同氏等を捕縛(ほばく)し苛酷(こく) の拷問(がうもん)をなす終(つひ)に西郷を大将とし 肥後(ひご)に出陣(しゅつぢん)す 朝廷隆盛(てうていたかもり)が叛逆判然(ほんぎゃくはんぜん)たれば終(つひ)に官位(くゎんい)を褫奪(ちだつ)せら/れ賊徒(ぞくと)征討(せいとう)を仰(おほ)せ出(いだ)さる賊軍(ぞくくん)は破竹(はちく)の勢(いきほ)ひに乗(じょう)して肥後(ひご)熊(くま)/本に出軍し同鎮台(ちんだい)に逼(せま)る陸軍少将(りくぐんせう)谷千城君賊(たにかんじゃうくんぞく)が動静(どうせい)を察(さっ)/し本城に立籠(たてこも)り固(かた)く守(まも)る官軍海陸より押寄(おしよせ)植木(うえき)田原坂に激戦(げきせん)す 賊軍(ぞくぐん)数戦(すせん)利(り)あらず同 十年九月鹿児島(かごしま)再(さひ) 襲(しう)の挙(きょ)あれども弾薬(だんやく) 尽(つき)て賊将(ぞくしゃうしろ)城(ぞくしゃうしろ)山の穴裡(けつり) に篭(こも)る同月廿四日官 軍大挙終(きょつひ)に数賊(すぞく)を 討取(うちと)る隆盛(たかもり)自殺(じさつ)し 首級(しゅきう)を隠(かく)す然(しか)れ 共(ども)後首(のちしゅ)級を得(え)らる 其死(そのし)がいを浄光(じゃうくゎう) 明寺(みゃうじ)に葬(ほうむ)る
IIIF Image
資料集掲載番号
280
受入番号
1990-032-118
西南戦争錦絵判型
大判錦絵三枚続
彫師
彫師未詳
賛署名
筆者未詳
版元名
大倉孫兵衛
版元住所
日本橋通一丁目十九番地
届出日
明治十年十二月十七日届出
左中右 上中下1
右
本紙1横
24.20
左中右 上中下2
中
本紙2竪
36.10
本紙2横
24.20
左中右 上中下3
左
本紙3横
24.10
本紙1竪
36.10
本紙3竪
36.10
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