By nakamura, 5 7月, 2024

御布告の写 鹿児島県暴徒檀まゝに兵器を携へ熊本県下へ乱入国憲を憚らず反跡顕然に付征討/被仰出候此旨布告候/大政大臣三條実美 ◌仰々(そも〱)十年二月六日官軍(くはんぐん)の大将山縣参軍(だいしゃうやまがたさんぐんみよしせう)三好少(だいしゃうやまがたさんぐんみよしせう)将野津少将(のづせう〱)は各々精兵(おの〱せいへい)八千余(はっせんよ)騎(き)をしたか/へ正々堂々(せい〱とう〱)として繰出(くりいだ)され菊日(きくひの)章(まる)の御旗(みはた)は朝嵐(あさかぜ)に((へん)番へんに扁)(へん)飜(ぽん)とひるがへり大砲数百挺(たいほうすひゃくてう)小銃数(せうじうす)/千引(せんひき)も絶(き)らず打立る響(ひゞ)きは天も烈(さ)け地も一度に崩(くづ)るゝかと怪(あや)しまれさしもの賊兵何(ぞくへいなに)か/は以て支(さゝ)ゆへき木葉(このは)の秋風に散(ち)るがごとく木の葉の賊は散々(さん)に打破(うちやぶ)られたり官軍は破(は)/竹(ちく)のいきほいにてそれ此の機(き)を失(うしな)ふな進(すゝ)めよすゝめと下指(げじ)を伝(つた)へて間(かん)道(だう)を攀登(よぢのぼ)り田原(たはら)/吉次両峠(きちじりゃうとうげ)を何の苦(く)もなく乗(の)り取たりかくて薩(さつ)の巨魁(かしら)西郷(さいかう)は川尻(かはじり)にありて切歯噛(はぎしりかん)て立上/り我輩(われこそ)は旧陸軍(もとりくぐん)大将たりいまや官軍の為めに破(やぶ)られ残念(ざんねん)さよと兵を励(はげ)まし死(しに)者狂(ものぐるひ)の戦(たゝか)ひ/に賊兵(ぞくへい)は草鞋(わらじ)の緒(ひも)を解(と)かざること三昼夜弾薬尽(さんちうやたんやくつ)き砲裂(つゝさ)けて止(やま)んと猛(たけ)り立たる猪武者(いのしゝむしゃ)の/巨魁(かしら)村田新八(むらたしんぱち)は深手(ふかで)を負(お)ふて斃(たを)れたり官軍は其機(そのき)に乗(じゃう)して熊本の海岸(かいがん)より火弾(やきだま)の火蓋(ひぶた)/を切(きっ)てはなてば/過(あや)またず賊(ぞく)/の陣営(ぢんや)に/あたるや/否(いな)や忽(たち)ま/ち焰々(えん〱)と/燃上(もえあが)り一時/にどっと焼(や)けうせたりさ るほどに官軍は兵を二手に分(わか)って南の関(せき)より/髙瀬(たかせ)に向(むか)かひ一手は山鹿(やまが)の彼所(あなた)に陣取たり賊兵は間道を横(よこ)に取て/岩村のうしろより切入たれば官軍は思ひも寄(よ)らず一時は旗色悪(はたいろあ)/しかりしが逐々集(おい〱あつま)る数多(あまた)の援兵込入(えんぺいこみい)る賊を弾丸(たんぐはん)のもとに/打取たり夫(それ)より官軍の勝利とこそは成りぬ却説(さて)この暴徒(ぼうと)/の鑑觴(はじまり)は赤龍丸(せきりうまる)の事より起(おこ)りしといふ

資料集掲載番号
038
受入番号
1990-032-135
西南戦争錦絵判型
大判錦絵三枚続
作者
雷斎年基(鈴木年基)
彫師
彫忠刻
賛署名
鈴木年基筆
版元名
鈴木年基
版元住所
第二大区九小区難波新地五番町四十八番地
届出日
明治十年三月一日届出
左中右 上中下1
本紙1横
24.00
左中右 上中下2
本紙2竪
36.20
本紙2横
24.10
左中右 上中下3
本紙3横
24.70
本紙1竪
36.30
本紙3竪
36.20
名札
西郷隆盛
桐野利秋
篠原国幹
薩兵方
官軍方
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right-to-left
UUID
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