去(さ)る程(ほど)に二月廿三日以来(いらい)の戦(せん)/争(そう)の景況(けいきゃう)はいまだ確報(かくほう)をきか/ざれども熊本城中(くまもとじゃうちう)は連日(れんじつ)固守(こしゅ)/して猥(みだ)りに兵(へい)を動(うご)かさず迫(せま)れば伐(うち)/北(ほぐ)れば追(お)はずして後援(こうえん)の至(いた)るを/待(まつ)に野津(のつ)三好(みよし)の両君(りゃうくん)は大兵(たいへい)/を引(ひい)て廿六日頃(ごろ)/ は筑後(ちくこ)ざかい/なる南(みなみ)の関(せき)に着(ちゃく)せられ木(こ)の葉(は)町(まち)に屯(たむろ)/する官兵(くわんへい)と熊本城中(くまもとじゃうちう)と三方(さんばう)よりして/城下(じゃうか)と植木(うへき)の暴徒(ぼうと)を掃攘(そうしゃ)せらるゝな/らんとの説(せつ)あり既(すで)に一隊(いったい)の兵(へい)植木(うき)に屯/ する暴徒(ぼうと)にあたつて戦(たたか)ひしときは官軍(くわんぐん)/頗(すこ)ぶる苦戦(くせん)にて一時南の関に引揚(ひきあげ)山鹿(やまか)の/の官兵(くわんへい)と合(がっ)せられしとか聞(きこ)へたるのみ其後(そののち)の報(はう)は/知(し)りがたしと雖(いへど)も暴徒(ぼうと)は専(もっは)ら刀(たう)を揮(ふる)ひ砲烟(ほうえん)の下(した)/より激戦(げきせん)するよし併(しかし)なから昨今大兵(さくこんたいへい)がこと〱゛く/合期(かっこ)して討(うつ)に至(いた)らば数里(すうり)の外(ほか)にしりぞけ/らるゝ事必定(ことひつぢゃう)なるべし
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資料集掲載番号
073
受入番号
1990-032-134
西南戦争錦絵判型
大判錦絵三枚続
彫師
彫師未詳
賛署名
筆者未詳
版元名
小林鉄次郎
版元住所
(日本橋)通二丁目四番地
届出日
明治十年三月八日届出
左中右 上中下1
右
本紙1横
24.00
左中右 上中下2
中
本紙2竪
36.30
本紙2横
24.70
左中右 上中下3
左
本紙3横
24.00
本紙1竪
36.20
本紙3竪
36.20
名札
旧正三位 陸軍大将 西郷隆盛
旧正五位 陸軍少将 篠原国幹
児玉八之進
別府九郎
河野四郎
中島武彦
永山九成
西郷小平
池上四郎
旧正五位 陸軍少将 桐野利秋
弟子丸応助
谷少将
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