By nakamura, 5 7月, 2024

智(ち)は□(まつげ)の如(こと)くよく百歩(ひゃくぼ)の外(ほか)を見(み) るも自(みづか)ら之(これ)を見る能(あた)はず西郷隆盛 は自(おのれ)が智勇(ちゆう)に傲(おこ)りて暴徒(ぼうと)を募集(かたらい) 其身(そのみ)首長となりて熊本に戦(たゝか)ひし より自今(このかた)数(す)百度の奮戦(ふんせん)に出没奇(しゅつぼつき) 変(べん)の謀計(ぼうけい)を尽(つく)せしも官軍(くゎんぐん)是に 進退(しんたい)して数(す)月の死戦(しせん)に奮撃(ふんげき)あ れば諸(しょ)口の賊兵(ぞくへい)次第(しだい)に討(うた)れ大口 村の戦(いくさ)には降(くだ)れる暴徒(ぼうと)六百余人其外 所々にて降参多(かうさんおほ)く人吉都延岡も竟(つひ)に 落城(らくじゃう)なしたりしが西郷桐野逸見等(へんみら)は 姿(すかた)を隠(かく)して遁走(とんさう)せりとぞ

By nakamura, 5 7月, 2024

賊魁(ぞくくゎい)西郷隆盛は桐(きり)野村田を始め として決死(けっし)の兵三百余(よ)名八月十八日 日向(ひうが)の江之嶽(たけ)を突(とっ)出し官軍の 囲(かこみ)を突(つい)て三田井に出夫より間(かん)道を 経て同三十一日加治(かぢ)木に到(いた)り三浦(うら)少 将( 〱)の手と激戦(げきせん)に及び九月一日午 前猶間(せんなほかん)道を越(こへ)て遂(つひ)に鹿児(かご)島に 操(くり)出す其勢(いきほ)ひ烈(れっ)風の如くこれに依(よつ) て降伏(ごうぶく)人等(ら)番(ばん)兵を打倒(うちたほ)して忽(たちま)ち 賊に応(おう)じ見る〱千余人の多勢となり 激戦(げきせん)数刻(すこく)鹿児城を乗取(のっとり)たり此日 市中の人気一変(いっへん)し騒動(そうどう)大かたならざり                しと

By nakamura, 5 7月, 2024

時(とき)に明治十年九月の末(すへ)に 至(いたっ)て未(いま)だ西海穏(さいかいおだや)かならす 逆海天(さかなみてん)にみなぎる其原因(そのげんい) 一朝一夕に粗(あら)ず就中西郷(なかんづくさいかう) 隆盛(たかもり)桐野(きりの)利秋(としあき)村田(むらた)新八(しんはち) 等屡々(しば〱)暴徒(ぼうと)を券官軍(つのりくゎんぐん) をさへきり城郭(じゃうくゎく)を襲撃(しうげき)し て専ら新政厚徳(しんせいこうとく)を称(しゃうす)と いへども豈久(あにひさし)しからや

By nakamura, 5 7月, 2024

西郷隆盛(さいがうたかもり)は日向(ひうが)の霧島(きりしま)近傍(もより) の山間にありしが九月三日残賊(ざんぞく) を帥(ひき)ひ死物狂(しにものぐる)ひの猛勢(もうせひ)にて 三好少将(せう)の手と激戦(げきせん)なし溝部(みそべ) 加治木(かぢき)の間を突抜(つきぬ)け鹿児 島へ討(うっ)て出(いで)市中(しちう)を放火(はうくゎ)し ける故城中(ゆへじゃうちう)の官軍討て 出双方(そうはう)激戦に及び県令(けんれい) は長﨑(ながさき)へ引上げたりとぞ

By nakamura, 5 7月, 2024

老賊(ろふぞく)西郷隆盛は延岡(のべおか)落(らく) 城(ぜう)の后(のち)日向地(じ)の山塞(おく)より 桐野其他(そのた)の賊将(せう)ら再び 鹿児嶋に進入(しんにう)し市街動(ちまたとどふ) やうなしたり尚(なほ)官勢の只 中に入右往(うわう)左往に駆廻り けつ戦(せん)す隆盛は城(しろ)山の山(さん) 間拠(かんによ)り追々(おい)賊将ら是(これ)に せまり数(す)万の大軍一時受(うけ) 昼夜界(ちうやのさかい)なく防攻(かう)の戦(たゝか)ひ 天地にひゞき山も裂(さけ)るかと 計(ばか)り思(おも)われたりし と云々   内田正鳳記

By nakamura, 5 7月, 2024

明治十年九月廿四日の早天よ り官軍の諸将校進路を定 め大挙して鹿児島なる城 山を攻撃(こうけき)あるに賊(ぞく)魁西郷 桐(きり)野を始(はじ)め村田池上其余の 隊(たい)長今日(けふ)を最期(さいご)の一戦と少も 臆する気色(けしき)なく兵(へい)士を指揮 して発砲(はっはう)なし小勢を以(もっ)て大軍 に当(あた)り花々敷(はな〱しく)激戦(せん)なす然る に東伏見(□□□)宮は第一番に城山(しろやま)へ乗(いり) 入り続(つゞひ)て各隊(かくたい)切入(きりい)るにぞ賊(そく)軍今 は是迄と西郷すてに切腹(せっふく)なせば 其余(そのよ)の人々(ひと)思(おも)ひ〱に討死(うちし)なし 全く鎮(ちん)静に及(およ)び万民安堵 の思ひをなしたり

By nakamura, 5 7月, 2024

西郷(さいかう)桐野(きりの)を始めとし必死(ひっし)乃 勇士(ゆうし)三百余(よ)名八月十八日日向の 江(え)の滝(たき)山を突(とっ)出し官軍の囲(かこみ) を破(やぶ)り険(けん)道を経(へ)て遂(つひ)に九月 一日鹿児島へ討(うち)入市(し)中を放火(はうか)し 県聴(けんちゃう)をおそひ火砲及粮米(およびらうまい)を 掠奪(だつ)し旧私(きうし)学校に討入 城山を占(しめ)て根拠(こんきょ)となし勢ひ をふるひしも巡査(じゅんさ)たいは少しも 恐(おそ)れず米倉(こめくら)に立こもり 大攻戦(けきせん)におよひしとぞ