賊魁(ぞくくゎい)西郷桐野等は延(のべ)岡/落城(らくじやう)の後は日向の山間に/退縮(たいしゆく)せしが八月十八日江ノ/嶽山より突出(とつしゆつ)し官軍の/囲(かこ)みを破(やぶ)り脱兎(だつと)の勢(いきほ)ひ/尖(するど)くして直(たゞち)に三田井へ突入(つきいり)/道なき山谷を走(はし)り不意(ふい)/に鹿児島へ進入(しんにふ)し一時動揺(たうやう)/なしたるも名有(なある)賊将(しやう)陣没(うちしに)/なし亦は降伏(ぶく)なしけるにぞ/隆盛は桐野村田と諸共(もろとも)に/漁舟(りょうせん)に取(と)り乗(のつ)て密(ひそか)に/港(みなと)を漕(こぎ)出せしに海軍の/固(かた)め厳(げん)なる故(ゆへ)今(いま)は斯(かう)なと/覚悟(かくご)なし腹(はら)かき切て死/たり是正に明治十年九/月廿四日午前九時三十分/発同県よりの電報なり