山県有朋(やまがたありとも)謹(つゝしん)で書(しょ)を西郷隆盛君(さいごうたかもりくん)の幕下(ばくか)に/啓(けい)す。有朋(ありとも)か君か相識(あひしる)や茲(こゝ)に年(とし)あるに由(よ)り/ 君が心底(しんてい)を知(し)るも亦深(またふか)し。曩(さき)に君(きみ)が故山(こさん)に/帰(かへ)りましてより。馨咳(けいがい)に接(せつ)するの時(とき)なしと/いへども。旧雨(きうう)の情(しよう)は争(いかで)一日も懐(おもひ)に往来(わうらい)せざる/べき一旦(いつたん)滄桒(さう〱)の変(へん)に遭(あ)ひ反(かえつ)て旗鼓(きこ)の間(あひだ)に相(あひ)/見(み)るべきとは図(はか)らざりきなり。抑(そも〱)君(きみ)帰郷(きゝやう)ありて/このかた世上にては専(もつぱ)ら鹿児島(かごしま)県士(けんし)に異状(いじやう)あり。/西郷こそ謀主(ほうしゆ)なるぞ。隆盛こそは張本(ちやうぼん)なるぞと/申せども。有朋ひとりは之(これ)を斥(しりぞ)け。何条(なんでう)さることの/あるべきかと申し張(は)りたるに今日の事と相成/たるは是非(せひ)もなき次第(しだい)なり。然(しか)れとも有朋(ありとも)が/存(そん)ずる旨(むね)は。今日の事(こと)たるより君(きみ)の素志(そし)には非(あら)ざ/るべし。