西郷氏は隆盛旧称(たかもりきうしゃう)吉之助南洲(なんしう)と号す 天資超然不群(てんしちゃうぜんふぐん)にして島津(しまづ)家に仕へ其 始めは側納戸(そばなんど)をつとめしが其頃松代(まつしろ)藩(はん)佐久(さく) 間象山幕臣勝海舟(ましゃうざんばくしんかつかいしう)君等と海外(かいくゎい)の学(がく)を 研究(けんきう)し嘉永(かえい)年間に至て其名初めて顕(あらは)る 嘉永癸丑(かえいきちう)の歳(とし)亜艦浦賀(あせんうらか)に渡来(とらい)せしより幕(ばく)府の閣老(かくらう)/不得止(やむをえず)天下(てんか)の形勢(けいせい)を洞察(どうさつ)し異船(いせん)を打払(うちはら)はさるより諸藩(しょはん)/其幕政(ばくせい)の因循(いんじゅん)を密(ひそか)に慷概(かうがい)し頗(すこぶ)る紛櫌(ふんやう)の萌(きざし)あり此/時吉之助お君命(くんめい)に因(よつ)て京師(けいし)に赴(おもむ)き近衛公(このえこう)の愛顧(あいこ)を蒙(かうむ)る 安政(あんせい)五年の秋(あき)幕府(ばくふ)水戸(みと)越前(えちぜん)其他(そのた)三藩(はん)に謹(きん)/ 慎(しん)を命(めい)ず時(とき)に西郷氏も京師(けいし)に在(あ)りて屢々成(しば〱じゃう)/就院(じゅいん)の月照等(げっしゃうら)と国家(こくか)の事(こと)を談(だん)じ終(つひ)に月照(げっし