By nakamura, 5 7月, 2024

西郷氏は隆盛旧称(たかもりきうしゃう)吉之助南洲(なんしう)と号す 天資超然不群(てんしちゃうぜんふぐん)にして島津(しまづ)家に仕へ其 始めは側納戸(そばなんど)をつとめしが其頃松代(まつしろ)藩(はん)佐久(さく) 間象山幕臣勝海舟(ましゃうざんばくしんかつかいしう)君等と海外(かいくゎい)の学(がく)を 研究(けんきう)し嘉永(かえい)年間に至て其名初めて顕(あらは)る 嘉永癸丑(かえいきちう)の歳(とし)亜艦浦賀(あせんうらか)に渡来(とらい)せしより幕(ばく)府の閣老(かくらう)/不得止(やむをえず)天下(てんか)の形勢(けいせい)を洞察(どうさつ)し異船(いせん)を打払(うちはら)はさるより諸藩(しょはん)/其幕政(ばくせい)の因循(いんじゅん)を密(ひそか)に慷概(かうがい)し頗(すこぶ)る紛櫌(ふんやう)の萌(きざし)あり此/時吉之助お君命(くんめい)に因(よつ)て京師(けいし)に赴(おもむ)き近衛公(このえこう)の愛顧(あいこ)を蒙(かうむ)る 安政(あんせい)五年の秋(あき)幕府(ばくふ)水戸(みと)越前(えちぜん)其他(そのた)三藩(はん)に謹(きん)/ 慎(しん)を命(めい)ず時(とき)に西郷氏も京師(けいし)に在(あ)りて屢々成(しば〱じゃう)/就院(じゅいん)の月照等(げっしゃうら)と国家(こくか)の事(こと)を談(だん)じ終(つひ)に月照(げっし

By nakamura, 5 7月, 2024

楠正成星 「よくきけよ西郷吉之助御身は わかいじぶんから 天朝をおもひ 忠義無二にてみなかんしんせぬ ものなくことに正三位までにいたり われ〱はじめよろこび 勤王一等 なりとおもひのほかこのたびの ぼうきよはなにごとぞいくさは われ〱よりかうはあれどぞくの 名義は万世までのこるはあゝ 清磨呂君かなしい〱 おいらん 「あゝいそが しいこと〱一とばんに二十 人ぐらいのまはしちよつ巡査のり 御方なら日夜はおろかねるめも ねずにおかねほしきにくがいもいとひま せんしかしいくさがおさまれはみなはんが おくにへおかへりなんすのでこゝろぼそい いくさがどん〱あればいゝんでありんす 小ぞう 「いくさがもつとあればいゝ店はいそがしいし/ふくはどん〱みしんでしたてそのいそ/がしいまぎれにぜにをもらつて使の/たびにかひくひができるこんないゝ事は/あるまいがあゝ小ぞうみやうりが/つきたのかどうぞいくさの/あるやうにしておくれ 山師 「西郷さんもつとがまんしていくさを やつてくださればいゝのにこゝが かんじんさうばがさがると たいへん〱し郷んだいかぎりを してもいおいつかねへえゝえゝ ざんねん〱 こんさい 「西郷大明神さま〱あれほどおねかひ申上 ますいくさがながくだんなはうちじにを なさったらかわいゝ男とそひ ぶしをしてきたいおかねはもち     ろんそうなりますればかねの とりいおっとわたしはうそつ

By nakamura, 5 7月, 2024

再度(ふたゝび)鹿児島地方に金光を/現(げん)じて火星(くはせい)の様(やう)に暴(ぼう)星を/たくましう為共近(なすともちか)きに/全(まった)く其光(ひか)りを/失(うし)なひ山間(かん)/を夜這(ばい)星と/なれは賊魁(ぞくくわひ)の/首(くび)を功星に/して/天道星の如く/大道へ/曝(さら)す/時は世の/中もブンド/ 宵(よい)の明星と/なるべし 刀屋   このほしのおかけてはいとう以来ほとんと/はいふつと思ひきつてしまいこんだかたなも/いちじはねがはへてとんだやうすはありがたいか/二そく三文のやすねにはかんしん/しないて かうしやくし てんべんちいと/いつてなんねんにはこう/いふほしがでゝいくつきを/へてきへるといふとはしれては/いるものゝさいかうぼしと/なをつけたのはおもしろいて/わがしやちうにもこのほしの/ためにたすけられし/ものもなきにしも/あらずだ 小道具や  どうかこのほしがきへて/よのなかがおだやかに/したいものだしろものゝ/うれないにはまことに/きようしゆく    かしざしき  こんどのさはぎはさておいてこのはるの/ くしよの大ぢしんこのかたこないもさびしく/たちいきのかなはぬ所このあいだはねづみ/たいがきましたゆへすこしはいきをついたが/かごしまの大じけんよりがつたりおちで/大ふさぎのそゝだれなら/いゝがよだれでくまります

By nakamura, 5 7月, 2024

于時(ときに)明治(めいぢ)十年八月 初旬(しょしゆう)巽(たつみ)の方(かた)に当(あた)り金(きん) 色(いろ)の星夜(ほしよ)九時頃(くじごろ)より出(しゅつ) 現(げん)す往古(むかし)より治乱(ちらん)の際(きは) 必(かなら)す天変(てんへん)ありと然(しか)るに 今薩州(いまさつしう)鹿児島(かごしま)の賊(ぞく) 平定(おだやか)ならざるの時(とき)なれば 世上(せじゃう)誰言(たれい)ふとなく 此星(このほし)をよび唱(とな)へて 西郷星(さいごうぼし)いふ

By nakamura, 5 7月, 2024

西郷隆盛 時に明治十年八月上旬(じゅん)より/東の方の空(そら)にあたり夜(よ)な〱/その色紅(いろべに)の如き大ひなる星(ほし)出現(しゅつげん)/せり人々めづらしと云ほどに何者(なにもの)/か臆説(をくせつ)をなして曰く薩(さつ)賊の惣/長西郷吉之助が陸軍(りくぐん)の官服/を着(ちゃく)せし如くに見(み)ゆるなどとあら/れぬ事どもを言ふらせり然(しか)るに/東京大学理学部(りがくぶ)の学士ピー。ウィ/ー。

By nakamura, 5 7月, 2024

西郷隆盛子息(しそく)菊太郎を膝近(ひざちか)く招(まね)ぎ汝既(すで)/に十三才何ぞ善記億(よくきおく)をなし今某(それ)が言(ゆう)こと/を忘失(ぼうしつ)することなかれ抑々(そも〱)出陣の後肥後日/ 向に有て某戦(たゝか)ひを見るに我運伝無(わがうんつたな)き戦/ふことに敗(はい)し味方(みかた)は敵(てき)に降(くだ)り何ぞ何(いつ)迄かつ/ みを作り数多(あまた)の人を損失(そんしつ)するは本意(ほんい)に不(あら)/ 有(ず)得(とく)より討死(うちじに)と思へども隆盛官軍に追(おわ)/れ日向の幽谷(ゆうこく)に亡(ほろ)びしと後世識者(かうせいしきしゃ)の誹(そし)り/を憚(はゞか)り一旦古里(こきゃう)に立返り討死せんと去る/三十日の夜大軍を討破(うちやぶ)りて今爰(いまこゝ)に及び/たり明日は必ず討死せんと思ふなり汝末期(なんしまつご)の/対面(たいめん)に教訓(きゃうくん)をのこさん夫(それ)鳥の将(まさ)に死(しな)/んとする時(とき)其呼声(そのなくこへ)悲(かな)し人将に死んと/する時其言(いふ)ことをよしと謂(いへ)况(いわん)や父と/して子に遺言(のこす)ことをや汝某無後(なきのち)は伯父/頼道(よりみち)を父と思ひ万事ことをもとらず生長(ひととなる)/の後君に仕へ忠勤を磨(はげ)むべし未た此外数/か条自筆(じひつ)に記(しる)し置たる此一巻をよ

By nakamura, 5 7月, 2024

兵書に曰勝(しゃう)/負(はい)は戦場(せんしゃう)の常/也百度戦ひて百度負(はいす)/とも何ぞ悔(くゆ)るに不有漢(かん)高(かう)/祖(そ)は七十余度敗戦(はいせん)をなし/後(のち)廣河(か□か)の一戦(せん)に勝(しゃう)を得(へ)て四/百余年の基/を開きも玉ふと/爰(こゝ)に西郷隆盛/か其諸行を聞(きく)に明/治の初より皇国に儀名を/を輝(かゝやか)し国事に粉骨(ふんこつ)を終(つう)/されしが同年四年朝鮮(ちゃうせん)国/より来使(しかふ)に付征韓(せいかん)/義を入しかと評(しゃう)定分/しとして不兵と也しかば/隆盛其職(しょく)にあつて其/義を入れわすは何(なん)の益(へき)かあらんと大将の官を/辞(じ)し古里(こきゃう)に去(さ)りて私学校(しかくかう)を立専(もっぱ)ら徳を布/鱞寡(かんか)孤(こ)独(どく)を□(かゞ)む西方(ほゝ)の人民隆盛を随(したう)こと/小児の乳房(ちぶさ)を随(した)ふる如く各々志しを煩(かたむ)(傾カ)け西/郷左右には相(桐カ)野別府のともから有て勇士は治/世に乱を忘(わすれ)ずと同国桜島にて弾薬器機/を製造なせしが豈謀(あにはから) んや政府より疑惑(きわく)/の掛けさせられしかは隆盛止ことをへす西/南に動騒(どうらん)なし今かへ生土鹿児島の城(しろ)山にあ/りしか去る九月廿三日の夜子息(ぞく)菊太郎真身(ましん)/赤(せき

By nakamura, 5 7月, 2024

兵書に曰勝(しゃう)/負(はい)は戦場(せんしゃう)の常/也百度戦ひて百度負(はいす)/とも何ぞ悔(くゆ)るに不有漢(かん)高(かう)/祖(そ)は七十余度敗戦(はいせん)をなし/後(のち)廣河(か□か)の一戦(せん)に勝(しゃう)を得(へ)て四/百余年の基/を開きも玉ふと/爰(こゝ)に西郷隆盛/か其諸行を聞(きく)に明/治の初より皇国に儀名を/を輝(かゝやか)し国事に粉骨(ふんこつ)を終(つう)/されしが同年四年朝鮮(ちゃうせん)国/より来使(しかふ)に付征韓(せいかん)/義を入しかと評(しゃう)定分/々として不兵と也しかば/隆盛其職(しょく)にあつて其/義を入れわすは何(なん)の益(へき)かあらんと大将の官を/辞(じ)し古里(こきゃう)に去(さ)りて私学校(しかくかう)を立専(もっぱ)ら徳を布/鱞寡(かんか)孤(こ)独(どく)を恤(かゞ)む西方(ほゝ)の人民隆盛を随(したう)こと/小児の乳房(ちぶさ)を随(した)ふる如く各々志しを煩(かたむ)(傾カ)け西/郷左右には相(桐カ)野別府のともから有て勇士は治/世に乱を忘(わすれ)ずと同国桜島にて弾薬器機/を製造なせしが豈謀(あにはから)んや政府より疑惑(きわく)/の掛けさせられしかは隆盛止ことをへす西/南に動騒(どうらん)なし今かへ生土鹿児島の城(しろ)山にあ/りしか去る九月廿三日の夜子息(ぞく)菊太郎真身(ましん)/赤(せき)

By nakamura, 5 7月, 2024

西郷隆盛(さいがうたかもり)東京在職中(とうきょうざいしょくちう)は一妾(いっせう) だも召抱(めしかゝ)へざりしに這回(こたび)戦地(せんち)へ妾 お杉(すぎ)を伴(ともな)ひしが官軍迫(せま)りてもはや 軍配(ぐんばひ)機(き)を失(うしな)ひ都(みやこ)の城(じゃう)の落陥(らくかん) 近(ちか)づきたればお杉(すぎ)を呼(よ)びて云云(しか〱゛)の 由(よし)を言聞(いひきか)せ汝(なんぢ)に暇(いとま)を取(とら)する也 無事(ぶじ)に一生(いっせう)を過(すご)せよとて若干(そこばく) 金(きんを)与(あた)へしかば女は別(わか)れを惜(おし)み死(し)なば 諸共(もろとも)と掻(かき)口説(くど)くを傍(かたわら)の者(もの)に 宥(なだめ)諭(さと)され遂(つひ)に此場(このば)を落(おち)たり              とかや