By nakamura, 5 7月, 2024

西郷隆盛(さいがうたかもり) 先(さき)には維新(いしん)の元勲(ぐぇんくん)たり後(のち)には反(はん) 賊(ぞく)の首将(しゅしゃう)たり陸軍大将(りくぐんたいしゃう)の服(ふく)を 着(き)て官兵(くゎんぺい)と鋒(ほこさき)を接(まじ)ふ半生(はんせい)の功(くう) 業半生(げふはんせい)の罪悪共(ざいあくとも)に非常(ひじゃう)にして 古今(ここん)未曾有(みそう)たり古(いにしへ)の奸雄謂(かんいゆうい)へるこ とあり曰(いは)く大丈夫(だいぜいぶ)芳(はう)を百世(ひゃくせい)に流(なが)す こと能(あた)はざれば須(すべか)らく臭(しう)を千載(せんざい)に 遺(のこ)すべしと隆盛(たかもり)一身(いっしん)にしてこれを 兼(か)ねたり後(のち)の罪悪(ざいあく)や憎(にく)むべし前(まへ) の功業(こうげふ)は没(ぼっ)すべからずこれを要(えう) するに不世出(ふせいしゅつ)豪傑(がうけつ)の称(しょう)は史家(しか)の 此人(このひと)に与(あた)ふるを吝(おし)まざる所(ところ)なるべ し其(そ)の行事(ぎゃうじ)卓犖伝(たくらくつた)ふべきもの 多(おほ)し大率(おほむね)世(よ)に表著(へうちょ)す故(ゆえ)に一々(いち)載(の) せず性甚(せいはなは)だ猟(かり)を好(この)み軍中(ぐんちう)に在(あ)る の日(ひ)も徃々犬(わういぬ)を携(たづさ

By nakamura, 5 7月, 2024

福地(ふくち)源一郎(げんいちろう)は天保十四年長崎(ながさき) に生(むま)れ聡慧(そうけい)五才にて字(じ)を能写(よくうつ)す 七才にして書(しょ)を読(よ)む幼稚(いとけなき)より幕(はく) 臣(しん)たらんことを志し(こころざ)壮年(そうねん)にて政(せい) 府(ふ)に事(つか)へ欧州各国(おうしうかくこく)へ航(こう)すること 三回(みたび)後(のち)市井(しせい)に退(しりぞ)き商業社会(しょうげうしゃくわい) を益(ま)す明治六年日報社々長(にっはうしゃしゃちゃう)と なり西南(せいなん)の乱(らん)には戦地(せんち)の実況(じっけう)を 視察(しさつ)し 天顔(てんぐわん)に咫尺(しせき)し親(したし)く 奏上(そうじょう)す且論理文勢(かつろんりぶんせい)暢達(ちょうたつ)に して真(しん)に仙筆(せんひつ)とも云実(いふじつ)に明 治の一傑俊(けつしゅん)なり     東江述(落款)

By nakamura, 5 7月, 2024

薩州(さつしう)の産(さん)にして 吉之助と号(がう)す且(かつ)て 勤王(きんわう)の志深(こゝろざしふか)かりしが 征韓論(せいかんろん)の合(あは)ざるより 辞職(じしょく)して帰国(きこく)なし明治十年 二月大軍(たいぐん)を卒(そっ)して官軍に抗(かう)し 遂(つひ)に九月廿四日城山(しろやま)の露(つゆ)と消(きへ)たり 〇花子(はなこ)は西郷菊(さいがうきく)次郎国隆(くにたか)の 結名付(ゆひなづけ)にして武術(ふじゅつ)に長(ちゃう)ぜり 親夫(おやおっと)とも戦地(せんち)へ赴(おもむ)きしあと 伊集院(いしういん)の伯母(をば)と同意(とうい)して 女隊(にょたい)に加(くわ)はり官軍に抗(かう)ぜしといふ

By nakamura, 5 7月, 2024

桐野利秋(きりのとしあき)は暴徒三将(ほうとさんしゃう)の一巨魁(いっきょくわい) にして素生(すぜう)は普(あまね)く衆人(ひと)の知(し)る 処(ところ)なれば畧(りゃくす)て既(すて)に国元(くにもと)へ戻(もど)りて より西郷篠原(さいがうしのはら)等と密談(みつだん)なすに 及びては人の疑(うたが)ひを厭(いと)ひ或は遊漁(ゆうりゃう)に 托(たく)して海川(うみかは)に出会し山野(さんや)に 鳥(とり)を追(お)ふて其徒(そのと)に談(だん)し或は保養(ほやう) と言觸(いゝふ)らし腹心(ふくしん)の輩誘引(ともがらいざなひ) 長崎丸山(ながさきまるやま)の妓楼(ぎらう)に遊んで放埓(ほうらつ)を 尽(つく)し其嘲(そのあさけり)を不顧密(かへりみずひそか)に心中是(しんちうこれ)を 悦(よろこび)すでに大事発覚(はっかく)なす返して 一家(いっか)の者(もの)も是を知(し)らずと酩酊(めいてい)の余(あま)り 妓楼の屏風(びゃうぶ)へ楽書(らくかき)せし古歌(こか)は 其儘今(そのまゝいま)に存(そん)ぜりとぞ あちきなしこみ小河の流れより  こけむす宿(やど)に月(つき)をなかめむ     長谷川一嶺記

By nakamura, 5 7月, 2024

池上(いけがみ)四郎は鹿児島旧藩(もとけらい)にして前名(ぜんみゃう) 菊池(きくち)四郎と言(い)ふ柔術(しうじゅつ)に秀(ひい)でまた 国風種ヶ島砲術(くにふうたねかしまほうしゅつ)に妙手(めうしゅ)と呼(よ)ばれ 維新(いしん)以降(いらい)東京(とうきゃう)に在(あっ)て親族(しんぞく)池上(いけがみ) 某(なにがし)の家(いへ)を継(つぎ)て其時姓(そのときかばね)を更(あらたむ)る常(つね)に 桐野(きりの)に交深(まじわりふか)く既(すて)に今般(こんぱん)暴徒(ぼうと) の副将(ふくしゃう)と仰(あを)がれ豊後(ぶんご)口に在(あり)て 屡々官兵(しば〱かんへい)を拒(こば)み明治十年三月 十三日警視(けいし)隊一隊(いったい)豊後路(ぶんごじ)襲来(しうらい)す 折(をり)から俄(にはか)の大雪(おゝゆき)に咫尺(しせき)も弁(べん)ぜぬ 其中(そのなか)を通路(つうろ)の並木(なみき)に潜伏(せんぷく)なし 其隊長(そのたいちゃう)を狙(ねら)ひ撃(う)たんと大胆(だいたん)にも 只壱人(ひとり)雪に半身(はんしん)埋(うづも)れて待構(まちかま)へしは 猛(もう)とやいわんか     長谷川一嶺記

By nakamura, 5 7月, 2024

前原一格(まえはらいっかく)は長州萩(はぎ)の産(さん)にして 武道(ぶどう)を深(ふか)く志(こゝろさ)し真影流(しんかけりう)の 印可(いんか)を極(きわ)め力量(りきりゃう)もまた人(ひと)に 異(こと)なり伯父(おじ)一誠(いっせい)は去年(さるとし)小春(こはる)の 一戦(いっせん)に夛年(たねん)の本望(ほんもう)空(むな)しくせしを 密(ひそか)に憤(いきどほ)り時節(じせつ)を窺(うかゝ)ふ其折(そのをり)から 今般(こんど)鹿児島(かごしま)一乱(らん)を聞と等(ひと)しく 馳加(はせくわ)わり数度(すど)戦場(せんじゃう)に敵(てき)を破(やぶ)り 就中川尻口(なかんづくかわしりくち)の激戦(けきせん)に衆(ひと)に抽(ぬきん)て 唯(たゞ)一騎(いっき)辺(ほとり)の土橋(どばし)に突立上(つゝたちあが)り 敵(てき)を望(のそ)んで猛威(もうい)を示(しめ)せば遉(さすが)に 猛(たけ)き台兵(たいへい)も見(み)ぬ蜀国(しょくこく)の燕人(えんひと) もかくやと計(ばか)り進(すゝ)みかね暫時(しばし)は 銃(つゝ)砲も向(む)けざりしとぞ     長谷川一嶺記

By nakamura, 5 7月, 2024

池邉(いけべ)吉十郎(きちじうらう)は暴徒(ぼうと)巨魁(きょかい)の一人(いちにん)にして 幼少(いとけなき)より智勇鋭(ちゆうすると)く専(もっは)ら武道(ぶどう)を 好(この)み成長(せいちゃう)に随(したが)ひ遂(つい)に弓馬(きうば)槍釼(そうけん)の 印可(いんか)を極(きは)む維新(いしん)の際(さい) 朝廷(てんちゃう)へ屡々(しば〱゛) 功(こふ)を奏(そふ)じて賞典録(しょうてんろく)弐百五十石を 賜(たま)ふ明治五年仕(つとめ)を辞(ぢ)して本国(くにもと)へ 立戻(たちもど)り鹿児嶋(かごしま)なる西郷(さいかう)桐野(きりの)にも 密(ひそ)かに一策(いっさく)を設(もう)け活計(くらし)の為(ため)に異国(いこく) 伝(ふた)習の染物(そめもの)問屋(どいや)を営業(えいきゃう)せんに染草(そめくさ) の原種(たね)に成(な)すと言触(いゝふ)らし商人(あきうど)を かたらひ廃刀(はいとう)を夥(おびたゞ)しく買集其中(かいあつめそのうち)より 撰出(えりいだ)して名(な)ある刀(かたな)を密(ひそか)に磨(と)がせたく わへ置(おき)今般事件(こんどのじけん)に用(もちい)るに至(いた)り諸人(しょにん) 始(はじめ)て遠慮(えんりょ)を驚愕き(おどろき)戦地(せんじゃう)に望(のぞ)みては 奇策(はかりこと)を施(ほどこ)し数度(たび〱)敵(て

By nakamura, 5 7月, 2024

国女(くにぢょ)は暴徒(ぼうと)三将(さんしゃう)の壱人篠原(しのはら) 国幹(くにもと)の娘(むすめ)なり幼(いとけなき)より生質親(せいしつをや) に孝心深(こうしんふか)くして仮初(かりそめ)にも叛(そむ)く 事なし加之美人(しかのみならずびじん)の聞(きこ)へ高く 能(よ)く文道(ぶんどう)に通(つう)じ柔術(やわら) 長刀(なぎなた)を学(まな)ぶ事久しある時母(ときはゝ)に 誘引(つれられ)て県下(けんか)を通(よき)るに酩酊(めいてい)なし ける士族停(てい)の者(もの)二人慮外(りょがい)の 雑言(ぞうごん)にこらへず母を補佐(ほさ)して 二人を投退(なげの)け立戻(たちもど)る此風説(このふうぶん)父に 聞(きこ)へて却(かへっ)て不興(ふきゃう)を蒙(かふむ)る其後(そのご)は 更(さら)に慎(つゝし)みて市中へ不出(いでず)今般(こんばん) 父(ちゝ)国幹討死(うちじに)ときゝ叶(かな)わぬ迄(まで)も 敵(てき)に当(あた)りて父の魂(たま)をなぐさめんと 西郷(さいがう)の本陣(ほんぢん)へ加(くは)わり兵士と俱(とも)に 花岡山(はなをかやま)に出陣(しゅつじん)す此時年(このときとし)十七才也     長谷川一嶺記

By nakamura, 5 7月, 2024

西郷隆盛は薩州(さつしう)の産(さん)にして始(はじめ)の名(な)を 𠮷之助と呼(よ)び別号(べつがう)を南州(なんしう)と称(しゃう)す 其才力凡(そのさいりょくつね)ならず功(こふ)を維新(いしん)の際(さい)より 顕(あらは)し 朝廷特別(ちゃうていとくべつ)に賞(しゃう)せられて 位正三位に叙(じょ)し賞典録(しゃうてんろく)二千石を賜(たまわ)り 威権(いけん)莫大(ばくたい)なりしが仕(つとめ)を辞(じ)して 生国(くに)に戻(もど)り私学校(しがくかう)を建(たて)て多(おゝ)く 生徒(せいと)を集(あつ)め明治十年二月始(はじめ)て 朝敵(ちゃうてき)の名義(めいぎ)を輝(あらは)し桐野利秋(きりのとしあき) 篠原国幹(しのはらくにもと)等(ら)と相計(はか)って征討(せいとう)の 大軍(たいぐん)を引請進(ひきうけすゝ)んては奇計(きけい)を設(もふ)けて 敵(てき)を破(やぶ)り退(しりぞ)いては険阻(けんそ)に拠(よ)りて防(ふせ)ぎ 悩(なやま)し普(あまね)く四海(しかい)を動揺(とうよう)せし賊徒(ぞくと)の巨魁(きょかい) たる事(こと)は江湖(こふこ)諸君(ひと)の了知(よくしる)成処(ところ)なり     長谷川一嶺記

By nakamura, 5 7月, 2024

陸軍少将谷干城 谷干城の名は守部と云髙知の人なり生深沈/剛穀大儒安井先生を師とす長して藩の/ 監察となり後ち容堂公に従ひ/江戸にあり大に藩政を革む戊/辰の役に近藤勇を走らし進/で野州を討ち奥州に戦ひ長/駆して会津を陥れ功を顕し/て髙知に帰り幾くもなく/陸軍少将に任ぜられ熊本/鎮台の司令長官となる佐/賀の変に処して大に熊本を/警戒す台湾の役に西郷中将/と共に偉功を奏し凱陣の後/官を解て家に在/種田少将の神風党に暴殺/せらるゝ及てや再熊本の司令長/官となり薩賊の事起るに会し籠/城五旬遂に賊意を逞しふする事を/得ざらしむ詩に曰く赳々たる武夫公候の干城と夫れ言ふ此の人を也乎