明治十年二月廿三日熊本城(じゃう)より 二里余(よ)へたてし木の葉(は)町へ三巨魁(かしら) の一名桐野利(とし)秋命ち知らずの 暴徒(ぼうと)を卒(そつ)し新政府(しんせいふ)鹿児しま 領(れう)とみだりに標杭(しるし)を所々に立暴(ぼう) 威(い)を示(しめ)しそなえし所え福岡鎮(ふくをかちん) 台一手の兵は植(うえ)木宿へ出張し七 本村を左りになし田原坂の険岨(けんそ) の地を占(しめ)こぶし下(さが)りに炮発(ほうはつ)なせば 桐野が兵も向ひ戦(たゝ)かひ双方一歩 も退(しり)そかす数刻(すこく)の間だ発(うち)合しが 勝敗(しょうはい)さらに分(わか)ざりける時の桐野 一計(けい)あんじ俄(にわ)かに石油を大地に雪(そゝ) ぎ松明(たいまつ)をなげ投(をろ)し台兵をなやまさ んと深くも工(たく)み謀(はかり)しとぞ 鹿児嶋戦争新誌之記者 篠田仙果逑