By nakamura, 5 7月, 2024

明治十年二月廿三日熊本城(じゃう)より 二里余(よ)へたてし木の葉(は)町へ三巨魁(かしら) の一名桐野利(とし)秋命ち知らずの 暴徒(ぼうと)を卒(そつ)し新政府(しんせいふ)鹿児しま 領(れう)とみだりに標杭(しるし)を所々に立暴(ぼう) 威(い)を示(しめ)しそなえし所え福岡鎮(ふくをかちん) 台一手の兵は植(うえ)木宿へ出張し七 本村を左りになし田原坂の険岨(けんそ) の地を占(しめ)こぶし下(さが)りに炮発(ほうはつ)なせば 桐野が兵も向ひ戦(たゝ)かひ双方一歩 も退(しり)そかす数刻(すこく)の間だ発(うち)合しが 勝敗(しょうはい)さらに分(わか)ざりける時の桐野 一計(けい)あんじ俄(にわ)かに石油を大地に雪(そゝ) ぎ松明(たいまつ)をなげ投(をろ)し台兵をなやまさ んと深くも工(たく)み謀(はかり)しとぞ  鹿児嶋戦争新誌之記者     篠田仙果逑

By nakamura, 5 7月, 2024

日本開闢以来(ひのもとかいひゃくいらい)の大合戦(お□かっせん)と菊(きく) の御旗(みはた)を東風(はるかぜ)に打靡(うちなびか)して西 の方薩摩(さつま)の国の西郷(さいがう)を討平(うちたひらげ) んと軍だち互に放(うち)出す鉄砲(てっぼう) は雨(あめ)や霰(あられ)や雪氷(ゆきこほり)火水の中も 厭(いと)はずに龍虎(りやうこ)の雄(ゆう)を争(あらそ)ふ熊 本城御代(みよ)明(あきらか)に治んと十年二 月初より逐々進(おいすゝ)む人数は杉 成算に積(つむ)程も俵阪(たはらざか)へ操(くり)出し 繁(しげ)き植木(うえき)の戦に木(こ)の葉(は)天狗(てんぐ) を追散(おいちら)しまづ吉次峠(きちじとうげ)を攻(せ)め 落し音(おと)も高瀬(たかせ)に本営を移(うつ)し て斯(こゝ)に有栖(ありす)川今に島津(しまづ)を付 られて日(ひ)ならず鎮(しづ)め富士の 山形(やまがた)参軍が勝(かつ)は官軍負(まけ)るは 賊(ぞく)と謡(うた)ふ言葉(ことは)を此画図(えづ)に写(うつし) 示(しめ)す者なれば誤視玉(あやまりみたま)ふこと勿(なかれ)

By nakamura, 5 7月, 2024

鹿児島(かごしま)暴徒(ぼうと)を追(つひ) 討(とう)の官軍数功(くわんぐんすこう)の 其中(そのなか)に野津(つ)兄(けう)弟 の戦(せん)功は新聞上(ぶんじゃう) にて知(し)られたり田原(たはら) 坂の激(げき)戦に桐(きり)野が 為(ため)になやまされ 兵卒(そつ)苦(く)戦の其折 に野津中(ちう)佐は真先(まっさき) に進(すゝ)み兵を指揮(しき)なし たる其勇猛(ゆうまう)の比類(ひるい) なきは頓(やが)て鎮撫(ちんぶ)の その後(のち)に末世(まつせ)の 人(ひと)の茶話(さわ)に    残(のこ)らん  梅堂栄久記

By nakamura, 5 7月, 2024

前陸軍□将正五位篠原国 幹は二千五百の暴徒を卒し 二月廿二日より熊本城をはげし く責(せむ)れど谷陸軍少将兵を指 揮(き)し機(き)をはかり霰れだまの 大炮をうち或時は地雷火を 埋(ふせ)数度暴徒をなやませしか ば花岡山の麓に於て篠原 国幹桐埜利秋惣大将西郷 隆盛別府新介村田新八 この外巨魁(かしら)立たる者を招 ぎて地図をさし示し種々 脇(協カ)議に及びつゝ尚も城を攻 にける

By nakamura, 5 7月, 2024

国大(くにおほい)なりと雖(いへど)も戦(たゝか)ひを好(このま)ば 必(かなら)ず亡(ほろ)ぶと史記(しき)にいへるもむべ なるかな鹿児嶋県(かごしまけん)の学校党(がくかうだう) 大義(ぎ)を紊(みだ)り名分(めいぶん)なく連(れん) 日(じつ)王師(わうし)に抗撃(こうげき)すれども天誅(てんちう) いかでか脱(まぬ)るべき熊本県下(くまもとけんか) 肥後国(のくに)田原坂(はらざか)の激戦(けきせん)に賊(ぞく) 軍一敗(ぐんいっはい)地(ち)にまみれ彼(かれ)が股肱(こかう) と憑(たのみ)たる村田(むらた)新八(しんぱち)なる者(もの)が 討死(うちじに)したるは明治(ぢ)十年二月 下旬(げじゅん)の事(こと)なりけり   稗史の作者    轉々堂主人記(落款)

By nakamura, 5 7月, 2024

鹿児島(かごしま)の賊長西郷隆盛(ぞくちゃうさいがうたかもり)は其勢 凡(およそ)一万四千余(よ)人肥後(ひご)熊本(くまもと)へ乱入(らんにう)し 城(しろ)を囲(かこ)み要害(えうがい)の地(ち)へ陣取(ぢんどり)たり中に も篠原国幹(しのはらくにもと)は田原坂(たはらさか)の嶮岨(けんそ)により 仮(かり)に台場(だいば)を築(つ)き官軍(くわんぐん)と抗激(かうげき)する こと数度(すど)なりし三月七日の早天(そうてん)に 官軍進(くゎんぐんすゝ)んで此地(このち)を攻(せめ)大小銃(しゆう)を連(れん) 発(はつ)して遂(つひ)に賊徒(ぞくと)を討(うち)なびけ   一三の台場(だいば)を攻取(せめとつ)て勢(いきほ)ひさな がら破竹(はちく)のごとく猶(なほ)第三のだい 場(ば)を取(と)らんと息(いき)をもつかせず 攻(せめ)つめたり     山閑人記

By nakamura, 5 7月, 2024

去(さ)る程(ほど)に二月廿三日以来(いらい)の戦(せん)/争(そう)の景況(けいきゃう)はいまだ確報(かくほう)をきか/ざれども熊本城中(くまもとじゃうちう)は連日(れんじつ)固守(こしゅ)/して猥(みだ)りに兵(へい)を動(うご)かさず迫(せま)れば伐(うち)/北(ほぐ)れば追(お)はずして後援(こうえん)の至(いた)るを/待(まつ)に野津(のつ)三好(みよし)の両君(りゃうくん)は大兵(たいへい)/を引(ひい)て廿六日頃(ごろ)/ は筑後(ちくこ)ざかい/なる南(みなみ)の関(せき)に着(ちゃく)せられ木(こ)の葉(は)町(まち)に屯(たむろ)/する官兵(くわんへい)と熊本城中(くまもとじゃうちう)と三方(さんばう)よりして/城下(じゃうか)と植木(うへき)の暴徒(ぼうと)を掃攘(そうしゃ)せらるゝな/らんとの説(せつ)あり既(すで)に一隊(いったい)の兵(へい)植木(うき)に屯/ する暴徒(ぼうと)にあたつて戦(たたか)ひしときは官軍(くわんぐん)/頗(すこ)ぶる苦戦(くせん)にて一時南の関に引揚(ひきあげ)山鹿(やまか)の/の官兵(くわんへい)と合(がっ)せられしとか聞(きこ)へたるのみ其後(そののち)の報(はう)は/知(し)りがたしと雖(いへど)も暴徒(ぼうと)は専(もっは)ら刀(たう)を揮(ふる)ひ砲烟(ほうえん)の下(した)/より激戦(げきせん)するよし併(し

By nakamura, 5 7月, 2024

官平(くゎくん)と賊軍入(いり)みだれて戦(たゝか)ふ最中彼(さいちうかの) の剛勇(こうゆう)のきこへある桐野利秋(きりのとしあき)は汗(かん) 馬(ば)に鞭(むち)うち馳(は)せ来(きた)りたる有様(ありさま)は往(す) 昔(きし)川中嶋(かわなかじま)の戦(たゝ)かいに勇将輝虎(ゆうしゃうてるとら)大太刀(おゝたち) を振(ふるっ)て晴信(はるのぶ)が陣頭(ちんとう)に切入(きりいり)しにもさ も似(に)たりすはやと云(い)ふ間(ま)に官兵(くわんべい)を 指揮(しき)されたる野津(のづ)君(くん)へ近(ちか)づきて其(その) 肩先(かたさき)へ斬付(きりつけ)けたるになにかわそのた 勇(ゆう)を以(もっ)て之(これ)をころせば一時(じ)本陣(ほんじん)へ引(ひき) 返(かへ)される途中(とちう)にて村田(むらた)君(くん)に出逢(てあ)ひ 具(つぶ)さに事情(じしょう)を話(はな)されしに村田(むらた)君(くん)わ 憎(にく)き賊(ぞく)の挙動(ふるまい)かないで〱余(よ)か英国(えいこく) 新製(しんせい)の射的銃(しゃてきしう)を以(もっ)て彼(かれ)を狙撃(そけき)せん と馬(むま)を飛(とば)して逐(お)ひ付(つき)て撃(うた)れ しに狙(ねら)ひ違(たが)はず砲聲(ほうせい)と共(とも)に 桐野(きりの)は馬(むま)より逆様(さかさま)に落(おち)たりしは実

By nakamura, 5 7月, 2024

却説(さても)官軍(くわんぐん)の勢(いきを)ひは賊(ぞく)の大(たい) 軍(ぐん)に近突(ちかづ)き攻立(せめたて)しが賊軍(そくくん) より野津(のつ)少将(せう)の軍中(くんちう)を目(め) 掛(かけ)て猪武者(いのしゝむしゃ)と聞(きこ)へある賊(そく) 将桐野利秋真先(しゃうきりのとしあきまっさき)に進(すす)んで 恰(あたか)も猛虎(もうこ)の勢(いきを)ひにて押(おし) 寄(よす)るに官軍進撃(くわんぐんしんけき)して大(たい) 炮小銃(はうせうじう)を連発(れんはつ)す其炮声(そのはうせい) 空(くう)に轟(とどろ)き霹靂(へき[ ])の碎(くた)けて 落(おつ)るが如(□)くなりしか野津 少将(せう)は之(これ)に應撃(おうけき)し千変(せんへん) 万化(ばんくゎ)と戦(たゝか)ひしが賊将利秋(ぞくしゃうとしあき) 黒烟(くろけふり)の隙(すき)を潜(くぐ)り白刃閃(しらはひらめ)かし 野津(のづ)小将(せう)の陣中(ちんちう)へ切込(きりこん)たり 野津小将之(これ)を事(こと)ともせず 奮撃突戦(ふんげきとっせん)し互(たがひ)に火花(ひばな)を散(ちら) して戦(たゝか)ひしが終(つひ)に勝敗決(しゃうはいけつ)し 難(がた)く引訣(ひきはか)れて賊軍(そくくん)は黄昏(たそがれ)の 鐘(かね)の音(ね)を相図(あいづ)に散乱(さん[ ])せしと云(い