By nakamura, 5 7月, 2024

国家(こくか)治まらんと欲(ほっ)す れば乱(らん)臣これを擾(みだす)とか や宜哉(むべなるかな)明治十年二月 の初め鹿児(かご)嶋県(けん)の士族(しぞく) 暴挙(ぼうきょ)の趣電報(おもむきでんほふ)有しより 朝廷速(てうていすみやか)に征討(せいどふ)の令(れい)を下(くだ)し 有栖(ありす)川の宮を大総督(そふとく)に任(にん) じ野津三好(みよし)の両公を参(さん) 謀(ぼふ)となし軍艦数艘(ぐんかんすそふ)え銃(じう) 器弾薬(きだんやく)を積込(つみこみ)同県え 向て発向(はっこふ)せり暴徒(ぼうと)の方 には二月十七日の朝兵(あさへい)を三 手に分一手は豊後(ぶんご)の鶴(つる)﨑 え一手は海(うみ)を渡(わた)り天草 島(じま)一手は水俣(また)より熊本 城え進軍(しんぐんなし)廿一日より 坪井町本郷口千段畑(たんばた) 京町植(うへ)木町高瀬其外 数ヶ所の戦(たゝかひ)に宦兵激(はげ) しく激戦(げきせん)せしと新聞紙 に記(しる)せり 林知治記

By nakamura, 5 7月, 2024

魁首(くゎいしゅ)西郷隆盛は隈(わい)府城の攻戦(かうせん)に 数日を経(へ)て何故陷(なにゆへおと)し入んと祇園山 に登り遥(はるか)に城中を見計(けんけい)せしに 中々以(もっ)て守備厳重(しゅびげんじう)たりしにさすが の隆盛も心(しん)中大(おゝひ)に感しやうせり城 中には少将谷干城(かんぜう)始樺(かば)山与倉(よくら)児 玉等(とふ)尚も堅固(けんご)に備(そな)へ宇土の本営(ほんじん)に 気(き)を通(つう)じ遠(えん)望に翻(ひる)がへる旗(はた)に奥 少佐相図(□いづ)と察(さっ)し城外充満(ぐゎひじうまん)の賊 軍へ漸入(きりいり)一方切(きり)抜宇土の本営(ほんじん)江 つゝがなく着(ちゃく)せしはしやうすべしと       内田正鳳記人(落款)

By nakamura, 5 7月, 2024

御布告の写 鹿児島県暴徒檀まゝに兵器を携へ熊本県下へ乱入国憲を憚らず反跡顕然に付征討/被仰出候此旨布告候/大政大臣三條実美 ◌仰々(そも〱)十年二月六日官軍(くはんぐん)の大将山縣参軍(だいしゃうやまがたさんぐんみよしせう)三好少(だいしゃうやまがたさんぐんみよしせう)将野津少将(のづせう〱)は各々精兵(おの〱せいへい)八千余(はっせんよ)騎(き)をしたか/へ正々堂々(せい〱とう〱)として繰出(くりいだ)され菊日(きくひの)章(まる)の御旗(みはた)は朝嵐(あさかぜ)に((へん)番へんに扁)(へん)飜(ぽん)とひるがへり大砲数百挺(たいほうすひゃくてう)小銃数(せうじうす)/千引(せんひき)も絶(き)らず打立る響(ひゞ)きは天も烈(さ)け地も一度に崩(くづ)るゝかと怪(あや)しまれさしもの賊兵何(ぞくへいなに)か/は以て支(さゝ)ゆへき木葉(このは)の秋風に散(ち)るがごとく木の葉の賊は散々(さん)に打破(うちやぶ)られたり官軍は破(は)/竹(ちく)のいきほいにてそれ此の機(き)を失(うしな)ふな進(すゝ)めよすゝめと下指(げじ)を伝(つた)へて間(かん)道(だう)を攀登(よぢのぼ)り田原(たはら)/吉次両峠(きちじりゃうとうげ)を何の苦(く)もなく乗(の)り取たりかくて薩(さつ)の巨魁(かしら)西郷(さいかう)は川尻(かはじり)にありて切歯噛(はぎしりかん)て立上/り我輩(

By nakamura, 5 7月, 2024

新政厚徳(しんせいこうとく)の籏西風(はたせいふう)に 飜(ひるか)り薩賊兵(さつぞくへい)を挙(あげ)て肥(ひ) 後(ご)熊(くま)本に侵入(しんにう)してより 以来(いらい)各種(かくしゅ)の新聞紙上(しんぶんしじゃう)に 於(おい)て其概畧(そのがいりゃく)を知(し)ると雖(いへども) 戦地(せんち)の里程(りてい)東西(はうがく)を詳(つまびらか)に せず依(よっ)て以(もっ)て此図(このづ)を画(えか) き地名(ちめい)里数(りすう)及(およ)び官軍(くわんぐん)の 御陣営賊陣等(ごじんえいぞくじんとう)を微細(びさい)に 記(しる)し諸君(しょくん)の便覧(べんらん)に備(そな)ふ  但し里数(すう)は熊本(くまもと)より   割出(わりいた)したり

/此道山鹿並二 南の関通ニテ 筑後セダカヘ 出ル本街道 ナリ

/此道高瀬道 筑後の国三 池ニ出る本 街道ナリ

By nakamura, 5 7月, 2024

古語(こゞ)に曰智者(いはくちしゃ)は不惑勇者(まとはずゆうしゃ)は 不恐(おそれず)とかや爰(こゝ)に賊軍熊(ぞくぐんくま)本城(しゃう)を 囲(かこ)んで数日(すじつ)力を尽(つく)て攻(せむ)ると雖(いへど)も 屈(くっ)する色(いろ)なく防戦(ばうせん)し謀畧(はかりごと)を 以て屢々(しば〱)賊軍(ぞくぐん)を破(やぶ)る賊将西(ぞくしゃうさひ) 郷城(がうじゃう)中に兵粮尽(へうらうつき)たると察(さっ)し 矢文(やぶみ)を以て退(たい)城を進(すゝ)むると雖(いへど) も不動或(うこかずある)日賊軍城(そくぐんしろ)に攻(せめ)よせ勇(やう) 猛(まう)するどく一時に攻入(いら)んとするに城(しろ) 将悠然(しゃういうぜん)として芸(げい)きに歌舞(かぶ)三弦(けん) を奏(そう)させ賊兵(そくへい)の心を迷す賊将(しゃう)城 兵の謀計(はかりごと)あらんをおそれて しりそきしといふ

By nakamura, 5 7月, 2024

鹿児島(かごしま)賊兵(ぞくへい)の首魁(しゅくわい) 西郷(さいがう)吉之助隆盛(たかもり)下(げ) 知(ぢ)なす前原一格(まへはらいっかく)は兄(あに) 一誠(せい)の無念(むねん)を晴(はら)さん と数度(すど)の戦争(せんそう)に働(はたら)く と雖(いへど)も安政橋(あんせいばし)にて 官軍巡査方(かんぐんじゅんさがた)の為(ため)に 切立(きりたて)られるとなん

By nakamura, 5 7月, 2024

鹿児島暴徒(かごしまぼうと)の先陣(せんぢん) 篠原国幹(しのはらくにもと)の一隊熊本(いったいくまもと) けんかへ乱入(らんにう)して廿一日より 四方(しはう)の街道(かいどう)より城(しろ)を取(とり) 囲(かこ)み羽間(はざま)川高瀬(たかせ)川植(うへ) 木(き)白(しら)川南(みなみ)の関(せき)等(とう)の各所(かくしょ) においてしば〱戦争(せんさう) ありしかど何れも官軍(かんぐん) 勝利(しゃうり)なる□(※「が」か)ゆへ暴兵等(ぼうへいら) 先途(せんと)の大破(たいはい)をつくのは ん二月二日の夜(よ)安己(あんき) 橋(ばし)の橋下(きゃうか)に伏兵(ふくへい)をお き鎮台兵(ちんだいへい)出張(しゅってう)の横(よこ) を討(うっ)て一時不意(いちじふい)の勝(しゃう) 利(り)ありしかど翌日(よくじつ)高 瀬口(せぐち)にて多(おゝ)く討死(うちしに)せり