国家(こくか)治まらんと欲(ほっ)す れば乱(らん)臣これを擾(みだす)とか や宜哉(むべなるかな)明治十年二月 の初め鹿児(かご)嶋県(けん)の士族(しぞく) 暴挙(ぼうきょ)の趣電報(おもむきでんほふ)有しより 朝廷速(てうていすみやか)に征討(せいどふ)の令(れい)を下(くだ)し 有栖(ありす)川の宮を大総督(そふとく)に任(にん) じ野津三好(みよし)の両公を参(さん) 謀(ぼふ)となし軍艦数艘(ぐんかんすそふ)え銃(じう) 器弾薬(きだんやく)を積込(つみこみ)同県え 向て発向(はっこふ)せり暴徒(ぼうと)の方 には二月十七日の朝兵(あさへい)を三 手に分一手は豊後(ぶんご)の鶴(つる)﨑 え一手は海(うみ)を渡(わた)り天草 島(じま)一手は水俣(また)より熊本 城え進軍(しんぐんなし)廿一日より 坪井町本郷口千段畑(たんばた) 京町植(うへ)木町高瀬其外 数ヶ所の戦(たゝかひ)に宦兵激(はげ) しく激戦(げきせん)せしと新聞紙 に記(しる)せり 林知治記