By nakamura, 5 7月, 2024

砲聲雷(ほうせいらい)の如(ごと)く剣光電(けんくゎうでん)のごとく官(くゎん) 軍賊兵(ぐんぞくへい)の九州一円(きうしういちえん)合戦(かっせん)は互(たがひ)に雌雄(しゆう) を決心(けっしん)の身命(いのち)すつるも国(くに)の為(た)め 敵(てき)に触(ふ)るれば敵を斬(き)り馬(うま)に 触るれは馬をきるそのときの 力(ちか)ら山を抜(ぬ)き気(き)は世(よ)ををゝふ 項羽(こうゝ)に優(まさ)る西郷隆盛(さいごうたかもり)烏江(うこう)の 敗(はい)のそれならで七十余戦(よせん)は まだおろか大戦(たいせん)三百小戦(せうせん)五百 骸骨(がいこつ)つんで山となり鮮血(せんけつ)なが れて川をなし死(し)ては生(い)き生(い)き ては死(し)ぬる修羅道(しゅらだう)の苦(く)とも思(おも) はぬ大逆暴徒(だいぎゃくぼうと)きのふの忠臣(ちうしん)けふ の賊君(ぞくきみ)に背(そむ)きし其科(とが)のしるしは 目前篠原(めのまへしのはら)や我児小平(わがここへい)も果(はか)なき戦(せん) 死今に西郷が最後を見玉(みたま)へと云爾

By nakamura, 5 7月, 2024

砲声雷(ほうせいらい)の如(ごと)く剣光電(けんくゎうでん)のごとく官(くゎん) 軍賊兵(ぐんぞくへい)の九州一円(きうしういちえん)合戦(かっせん)は互(たがひ)に雌雄(しゆう) を決心(けっしん)の身命(いのち)すつるも国(くに)の為(た)め 敵(てき)に触(ふ)るれば敵を斬(き)り馬(うま)に 触るれは馬をきるそのときの 力(ちか)ら山を抜(ぬ)き気(き)は世(よ)ををゝふ 項羽(こうう)に優(まさ)る西郷隆盛(さいごうたかもり)烏江(うこう)の 敗(はい)のそれならで七十余戦(よせん)は まだおろか大戦(たいせん)三百小戦(せうせん)五百 骸骨(がいこつ)つんで山となり鮮血(せんけつ)なが れて川をなし死(しゝ)ては生(い)き生(い)き ては死(し)ぬる修羅道(しゅらだう)の苦(く)とも思(おも) はぬ大逆暴徒(だいぎゃくぼうと)きのふの忠臣(ちうしん)けふ の賊君(ぞくきみ)に背(そむ)きし其科(とが)のしるしは 目前篠原(めのまへしのはら)や我児小平(わがここへい)も果(はか)なき戦(せん) 死今に西郷が最後を見玉(みたま)へと云爾

By nakamura, 5 7月, 2024

 吉次越激戦(きちじごえのげきせん)   篠原討死(しのはらうちじに)之(の)談(だん) 暴徒(ぼうと)の先陣(せんぢん)篠原(しのはら)は其手(そのて)の別将(べっしゃう) 西郷(さいがう)小平肥後(ひご)助右エ門の両人(りゃうにん)に熊本(くまもと) 城(じゃう)を囲(かこ)ませつゝ其身(そのみ)は植木(うえき)向坂木(むかひざかき) 留辺(どめへん)へ進撃(しんげき)し吉次(きちじ) 越迄到(こえまでいたりし)に官軍爰(くわんぐんこゝ)に待(まち) 受(うけ)て大小銃(しう)を打(うち)かけ〱勢(いきほ)ひ 猛(たけ)く突出(とっしゅつ)なすにぞ賊兵進(ぞくへいすゝ)むこと を得(え)す隊長国幹之(たいちゃうくにもとこれ)を見(み)て陣頭(ぢんとう)に 駒(こま)を馳(は)せ手先(てさき)をまはして働(はたら)くをり から銃丸飛(じうくわんとん)で篠原(しのはら)が胸元(むなもと)を打(うち)ぬき けるにぞ馬(うま)より落(おち)て死(し)しにける此際(このとき) 西郷隆盛(さいがうたかもり)は兵(へい)を卒(そっ)して助(たす)けきたり 味方(みかた)を纏(まと)めて引揚(ひきあげ)たり此戦(このたゝか)ひに 名(な)を得(え)たる村田(むらた)三介も重傷(おもで)を負(お)ひ 暴徒(ばうと)の死傷(ししゃう)しとぞ

By nakamura, 5 7月, 2024

一時動揺(だうえう)なせし鹿 児島県の暴士族明治 十歳二月の項賊魁(ぞくかい)西 郷桐野篠原村田等 を始として数千の勢 にて熊本近傍へ押 出し屢(しば〱)開戦に及 官軍之に応戦なし て日々の戦功は電 報にて知られたり 諸軍員終力にて頓 て鎮撫(ちんぶ)凱歌の時も 近きにあたらん   梅堂   榮久識(落款)

By nakamura, 5 7月, 2024

王師の向ふ所草木披靡 拘しく西京島原の関取高 推山の弟子某四名は明治十年 一月より鹿児嶋県下に興 行の折から賊の先鋒に便 役され 濡たる畳を持はこびて 飛来る弾丸を防きし三月 廿日の戦ひに田原坂の賊累を 破られし時路もなき渓を つたひて官兵の陣門に脱来 りて赦免され我参軍の寛 典の処置を感銘したりしとそ  操觚者 轉々堂主人(落款)

By nakamura, 5 7月, 2024

王師の向ふ所草木披靡 拘しく西京島原の関取高 推山の弟子某四名は明治十年 一月より鹿児嶋県下に興 行の折から賊の先鋒に便 役され 濡たる畳を持はこびて 飛来る弾丸を防きし三月 廿日の戦ひに田原坂の賊累を 破られし時路もなき渓を つたひて官兵の陣門に脱来 りて赦免され我参軍の寛 典の処置を感銘したりしとそ  操觚者 轉々堂主人(落款)