By nakamura, 5 7月, 2024

四月戦地より或人の報 にて官軍と賊と入乱 戦中に桐野は汗馬に むち打馳来り官兵を 指揮したる野津 少将に近つき太刀振 かさし切つけるを 避として浅傷を受 退打し村田少佐狙 定め発す筒先あや またす桐野利明馬 より打て落す目 覚き事ともなり   逸蕉山人誌  御届十年四月三十日

By nakamura, 5 7月, 2024

茲(こゝ)に野津(のづ)少将(せうしゃう)は兵士(し)を 指揮(しき)して居(い)られしか其体(そのてい)を 賊将桐(ぞくしゃうきり)野利秋(としあき)はるかに 之(これ)を見て汗馬(かんば)に鞭(むち)うち 馳来(はせきた)り少将どのを目がけ 切(きっ)て蒐(かく)れば野津公得(え)たり と受(うけ)とめられ一騎(いっき)うちにて 暫時(しばし)の間(あひだ)奮戦(ふんせん)ありしが 更(さら)に勝敗(しゃうはい)を決(けっ)するを得 ずして終(つい)に双方(さうはう)へ引分(ひきわか)れ たるは最(いと)も目覚(さま)しき有 様なりしといふ

By nakamura, 5 7月, 2024

文明の開化の御代の難有さ しらすにならす薩兵の 旧平士族か熊本にその 名も高き山鹿口ふん戦 日々にたえまなく賊徒の 内にくわりし西京力士の 眷中に朝男山市五らふ 弟子共およそ二百名 暴動方の先手となり 畳を持て玉をよけ 我官兵の横間より犬 猪子武者が切手懸て一たび 官軍くづれしが陸軍少々 三好君野津君しらがかひ 載なし賊軍そのばを 引上たり  編輯 寿ゝ歖□

By nakamura, 5 7月, 2024

今般(こんど)山鹿口(やまがぐち)に於(おい)て屢激戦(しは〱けきせん) に賊軍(ぞくぐん)は畳(たゝみ)二三でうづヽ綴合(とちあは)せ て水にしたし是(これ)を力士(りきし)に持(もた)せ て真先(まっさき)に押立敵(おしたててき)の間合(まあい)近(ちか) 付(つく)に従(したか)つて畳(たゝみ)を三尺(しゃく)も差上(さしあぐ) ると賊兵其下(そくへいそのした)よりくゞり出(いで)て 敵中(てきちう)へ斬入(きりいっ)て勝利(しゃうり)を得(え)る事(こと) 少(すくな)からずと言(いへ)り邂逅(たまに)大炮当(たいほうあた) ると雖(いへ)ども畳(たゝみ)と共(とも)に倒(たを)るヽのみ なり少(すこ)しも打抜事(うちぬくこと)なしとそ 此力士(このりきし)は西京(さいけい)の角力取(すまひとり)にて九刕(しう) 路(ち)を興行(こうげう)の折(おり)から暴徒(ぼうと)の為(ため) に卒連(ひきつれ)られて戦場(せんじゃう)に仕役(しやく)せし かど一人(にん)も死(し)せし者(もの)なしと辛(から) く其群(そのむれ)と遁(のが)れて帰京(きけう)せし者(もの)の話(はなし)

By nakamura, 5 7月, 2024

鹿児島県賊徒(かごしまけんぞくと)の巨魁西郷(こくわいさいがう) 吉之助は自(みづか)ら新政大総(しんせいだいそう) 督征討大元帥(とくせいとうだいげんすい)と僭(せん) 称(しょう)し其勢(せい)凡 一万四千余(よ)人鹿児(かご) 島を練(くり)(繰カ)出し肥後(ひご)の国境(ざかひ)にて 兵を二手に分(わ)け水俣(また)人吉の 両道より進(すゝ)み八代にて兵(へい)を合(がつ) 熊本さして押寄(おしよせ)たり維旹(ときにこれ)明治 十年二月廿一日昧夾(まいそう)(爽カ)より熊城(ゆうじゃう)を 囲(かこ)み攻立(せめたて)けれど城中更(じゃうちうさら)に屈(くっ)する色なく 防禦(ばうぎょ)の術(じゅつ)を尽(つく)すにより賊兵一旦軍(そくへいいったんいくさ)を 纏(まと)め各所(かくしょ)に陣営(ぢんえい)を構(かま)へたり同廿二日三 日の両日山鹿(やまが)口に戦争(たゝかい)始り官軍頗(かんぐんすこぶ)る 勝(しょう)利を得て賊軍(ぞくぐん)□□(うち)やぶりしは実(け)に 目覚(さま)しき形□(あ[ ])なりとぞ      山閑人記

By nakamura, 5 7月, 2024

山口 陸軍中将 山縣有朋

高知 同 少将 谷千城

同  同 中将 鳥尾小弥太

鹿児島同 少将 野津鎮雄

山口 同    三好重臣

同  同    三浦梧楼

同  同    山田顕義

鹿児島同    大山巌

長嵜 同    曽我祐準

山口 同    伊藤博文

鹿児島海軍太輔 河村純義

鹿児島陸軍少将 川路利良

By nakamura, 5 7月, 2024

官軍(くわんぐん)は高(たかせ)瀬(たかせ)より二手(ふたて)に分(わか)れ一手は河通(かはどほ)り より進撃(しんげき)し大(おほ)いに賊軍(ぞくぐん)を敗(やぶ)り勝(かつ)に乗(じゃう)じ て高(たかはし)橋(たかはし)に至(いた)るときに少佐(せうさ)聯隊(れんたい)の旗(はた) を賊軍(ぞくぐん)のために奪(うば)はれたりしが野津(のづ) 大佐(たいさ)遥(はる)かにこの体(てい)をみて駿馬(しゅんめ)に鞭(むち) を加(くは)え敵中(てきちう)へ馳(は)せ入(い)り遮(さへ)ぎる敵(てき)をば 馬蹄(ばてい)に蹴(け)ちらし見(み)る〱四五人切(きっ)て 難(なん)なく旗(はた)を取(とり)かへし徐々(じょ〱)として味方(みかた) の陣(ぢん)へ引返(ひきかへ)されし有様(ありさま)は実(げ)に目覚(めざま) しき働(はた)らきなりと云(い)ふ

By nakamura, 5 7月, 2024

征討(せいばつ)の帥起(しおこ)りてより日(○)丸旗(ひのまるのはた)まつ先へ 戦地(せんち)へ向ふ官軍(くわんぐん)はきさらぎ月(○)より弥(や) 生(よい)に至りて陸続(りくぞく)なし台兵(ちんたい)ひそかに策(さく) を用へし地雷火(○)(ぢらいか)にかゝりて賊(ぞく)は何かわ たまらんねみゝに水と諺(ことわさ)のそれなら ねとも狼狽(ろうばい)し死傷(ししよう)は山をなすばかり すてに四日の戦(□くさ)には官軍河内通(かわちどう)りお 進激(しんけき)し高(たかはし)橋(たかはし)になん至られたる此戦や 強(はげし)かりけん少佐(しょうさ)某あやまつて賊のた めに聯隊(れんた)旗を取れしを野津君(のつくん)木(○)影(こかげ) に是(これ)を見(み)て駿馬(しゅんば)に鞭(むち)うちサーヘルの小(こ) 金作(かねつく)りをひらめかし土(○)砂(としゃ)をけたつて 一文字(もんじ)むらがる敵(てき)の其中へとび入てさへ ぎる者を六人まで切(きっ)て落(おと)せしはたら きお賞(しょう)して下手(へたの)のこじつけは只七(たゞ ひ) 曜(ちよう)をかたどるのみ  庚谷記

By nakamura, 5 7月, 2024

征討(せいばつ)の帥起(しおこ)りてより日(○)丸旗(ひのまるのはた)まつ先へ 戦地(せんち)へ向ふ官軍(くわんぐん)はきさらぎ月(○)より弥(や) 生(よい)に至りて陸続(りくぞく)なし台兵(ちんたい)ひそかに策(さく) を用へし地雷火(○)(ぢらいか)にかゝりて賊(ぞく)は何かわ たまらんねみゝに水と諺(ことわさ)のそれなら ねとも狼狽(ろうばい)し死傷(ししよう)は山をなすばかり すてに四日の戦(□くさ)には官軍河内通(かわちどう)りお 進激(しんけき)し高(たかはし)橋(たかはし)になん至られたる此戦や 強(はげし)かりけん少佐(しょうさ)某あやまつて賊のた めに聯隊(れんた)旗を取れしを野津君(のつくん)木(○)影(こかげ) に是(これ)を見(み)て駿馬(しゅんば)に鞭(むち)うちサーヘルの小(こ) 金作(かねつく)りをひらめかし土(○)砂(としゃ)をけたつて 一文字(もんじ)むらがる敵(てき)の其中へとび入てさへ ぎる者を六人まで切(きっ)て落(おと)せしはたら きお賞(しょう)して下手(へたの)のこじつけは只七(たゞ ひ) 曜(ちよう)をかたどるのみ  庚谷記