By nakamura, 5 7月, 2024

賊将西郷隆盛(ぞくしゃうさいがうたかもり)は二月 開戦以来(かいせんこのかた)諸所(しょ)に於(おい)て 官軍(くゎんぐん)と接戦(せっせん)なし漸々(しだい) に追撃(つひげき)され今(いま)は日向国(ひうがのくに) 都(みやこ)の城(じゃう)に楯篭(たてこも)り官兵(くゎんへい) 襲来(しうらい)あらば一戦(いっせん)に追退(おひしり)ぞ けんと嶮地(けんち)を憑(たの)みに手術(しゅじゅつ)を 尽(つく)し防禦(ばうぎょ)の准備(ようい)厳(げん)なる 折(をり)から大軍(たいぐん)四方(しはう)より攻撃(こうげき)あ れば奮戦(ふんせん)なすといへ共(ども)最早(もはや) 軍機(ぐんぎ)を失(うし)なひ支(さゝへ)ること能(あた)は すして此所(こゝ)をも逃走(とうそう)せしと云(いふ)

By nakamura, 5 7月, 2024

茲(こゝ)に賊徒(ぞくと)肥後(ひご)を去 て日向の郡(みやこ)(都カ)城(しろ)を本 営(えい)となす官軍早く も之を徃(せい)(征カ)討(とう)せんと 四方より砲撃(はふげき)す 然(しか)るに賊将少しも 屈(くっ)する色なく勇々 然(せん)として呑(たい)酒(し)遊(えう) 楽(らく)す

By nakamura, 5 7月, 2024

茲(こゝ)に賊徒(ぞくと)肥後(ひご)を去 て日向の郡(みやこ)(都カ)城(しろ)を本 営(えい)となす官軍早く も之を徃(せい)(征カ)討(とう)せんと 四方より砲撃(はふげき)す 然(しか)るに賊将少しも 屈(くっ)する色なく勇々 然(せん)として呑(たい)酒(し)遊(えう) 楽(らく)す

By nakamura, 5 7月, 2024

鹿児島(かごしま)の暴徒(ぼうと)追々(おひ)退縮(たいしゅく)に 及(およ)び日向都(ひうがみやこ)の城(じゃう)に楯篭(たてこも)り 防禦(ばうぎょ)の策(さく)を廻(めぐ)らし西郷(さいがう)の 一言にも此城落去(このしろらくきょ)せば 我(わ)れ指揮(しき)をなさず各々(おの) 随意(すいい)たるべくに付(つき)死力(しりょく)を 尽(つく)して防戦致(ばうせんいた)すべくと死(し)を 都(みやこ)の城(じゃう)に決(けっ)せし猛勇(もうゆう)の薩(さつ) 勢(ぜい)も官兵(くゎんへひ)の筒先烈(つゝさきはげ)しく終(つひ) に堪(たう)へず七月廿四日とやら 官軍諸口(くわんぐんしょくち)より進入(しんにふ)し同日 午後二時(ごゝにじ)陥入(おとしい)れしといふ

By nakamura, 5 7月, 2024

這回(このたび)鹿児島戦争(かごしませんそう)の節(せつ)賊軍(ぞくぐん)岡(おか)の 上(うへ)より官軍(くわんぐん)の本営(ほんえい)へ打出(うちだ)す大砲(たいほう)は ナホレオン砲(ほう)の破裂弾(はれつだま)にて日向(ひうが)へ赴(おもむ) く節(せつ)砲台(ほうたい)を強牛四匹(つようししひき)にて挽(ひか)せし が以来は五匹にて挽すといふ程(ほど)の 大砲(たいほう)七八台(だい)を嶮岨(けんそ)の山(やま)に備(そな)へ おき屡官軍(しば〱くわんぐん)に抗戦(かうせん)なすその 弾薬製造(たまくすりせいぞう)の巧(たく)みなる事(こと)は 実(じつ)に驚(おどろ)くばかりなりしといふ

By nakamura, 5 7月, 2024

明治十年の春よりも熊本県下迄 押寄当城の四方を取かこみ時実 砲発なしたりといへど谷少将之 動ゆへさすが賊徒破とかなし 又官軍後誥来り賊軍諸 方へはいぼくなしたりけり 然るに人吉城重岡都の城 大戦の頃賊行進隊長と 聞へし相良五左衛門兵士 三百人を引て降伏に出たり 賊兵是を恕(怒カ)て亦大進撃 有しとゆう    古好堂主人誌

By nakamura, 5 7月, 2024

鹿児島港(かごしまこう)に備(そなへ)ある官軍(くわんぐん)を 賊等(ぞくら)最厳重(いとけんぢう)に四方(しはう)を固(かた)め 中(なか)にも太明神ヶ岡武山(てみうじんがをかたけやま)は旧城(きうじゃう) 下(か)の傍(かたわら)に在嶮山(あるけんざん)にて大砲(たいはう)破(は) 烈弾(れつだま)丸を打(うち)かけ官軍(くわんぐん)を悩(なやま) す事屢々(ことしば〱)なり仍(よっ)て官軍兵(くわんぐんへい) 策(さく)を定(さだ)め軍艦数艘(ぐんかんすそう)を不(ふ) 意(い)に武山(たけやま)へ迂回(まは)し前後一時(ぜんごいちじ) に攻撃(こうげき)し遂(つひ)に賊兵(ぞくへい)を追(おひ) 払(はら)ひ連絡(れんらく)を通(つう)じむ実(げ)に勇(いさ) ましき事共(ことども)なり尤近来未(もっともきんらいみ) 曾有(そう)の大戦(たいせん)にて双方(そうはう)の死(し) 傷莫大(しゃうばくたい)なりといふ

By nakamura, 5 7月, 2024

禹(ゆう)見二罪人(つみひとをみて)一問而泣曰尭舜(とふてしかふしてないていはくぎゃうしゅん)之人以二 尭舜之心二為レ心(□□□□のこころをもつてこころとす)と茲(こゝ)に西郷桐野 の如き非類(ひるい)の功(かう)を天下に奏(そう)し一 度(たび)人望(ぼう)を得(え)たりしも惜哉(おしいかな)一朝(てう)に大 義を謬(あやま)り其身暴徒(ぼうと)の首魁(しゅくわい)と なり以て世上の罪(つみ)人となる千 辛(しん)万苦(く)の束(さく)(策カ)略あるも争(いかでか)必(ひ)勝 を得(う)べけんやされば官軍イリキ山 経(え)笹の谷へ進撃(しんげき)す時は六月廿四日 只さへ炎熱(えんねつ)燃(もゆる)るごときに炮声(ほうせい)山 を援(つんざ)く斗り死力を尽す戦叫(せんけう)に は厳(いはほ)も尚(まさ)に砕(くたく)るばかり死優(しゃう)(傷カ)を乗(のり) 越踊越(こへおどりこ)へ火花を散(ちら)す奮(ふん)撃突(とつ) 戦いつ果(はつ)べうとも見へざりしが竟(つひ) に暴徒は討散され此手の塁(るい)は落(おち) たりけるさても官軍勝に乗(じょう)じ廿五 日の暁(けう)天より爰(こゝ)彼所(しこ)の塁を乗(のっ)と り鹿児島城へ聯絡(れんらく)なしたり

By nakamura, 5 7月, 2024

鹿児島(かごしま)の賊軍(ぞくぐん)熊本(くまもと)地(ち) 方(ほう)に於(おい)て屢々(しば〱)官軍(くわんぐん)に抗(かう) すると雖(いへど)も各所(かくしょ)の要地(えうち)敗(やぶ) ふるゝゆえ防(ふせ)ぐ事能(ことあた)はざる 欤速(かすみや)かに引揚日向(ひきあげひうかの)険地(ち)に 退(しりぞ)き官軍進撃(くわんぐんしんげき)あらば此(この)所 にて猶激戦(なほげきせん)に及(およ)ばんと砦(さい) 塁(るい)を設(まう)け防禦(ばうぎょ)の准備(やうい)に 日夜(にちや)苦慮(くりょ)を尽(つく)すといふ