By nakamura, 5 7月, 2024

西南評(さいなんひゃう)の続(つゞ)き頃日(このごろ)も途絶(とたへ)なく 官賊両軍互(くはんぞくりゃうぐんたが)ひに鎬(しのぎ)を削(けづ)り入乱(みだ)れ 彼(か)の桐野利秋は鞭打(むちう)ち轡(くつは)を鳴(な) らし真一文字(まいちもんじ)に馬を責(せ)め 官軍を採配(さしづ)なす野津少将と 蹄(むま)を併(あは)せ唯(たゞ)一撃(うち)と斬付(きりつけ)るを程(ほど) よく避(さ)けて野津君は本陣(ほんじん)さして 返(かへ)らるゝ道後詰(みちごつめ)とみへし 少佐村田経芳君に行逢(ゆきあ)ひ       今(いま)利秋と斯(かく)〱と 合引(あいびき)せしを告(つげ)げられたるに 経芳君きくもあへずおのれ 賊将逃(の) がさじと 跡(あと)を慕(した) ふて馬を飛(と)ばしに 高(たか)き丘(とこ)に突(つき)立つに       桐野は 四五丁隔(へだ)って揚〱 と馬上にみゆるを これ究竟(くっけう)と英(えい) 国製(せい)の射的(しゃてき)      銃(ほう)を 狙(ねら)ひ火(ひ) 蓋(ぶた)を切(き)れば あやまたず砲声(ほうせい)も 利秋は真逆(まっさかさ)まに馬より       落(をち)しは心地(こゝち)よく                こそみへたりと     朝野新聞に□□   跡はをい   〱   次号に   つぎ

By nakamura, 5 7月, 2024

〇戦地(いくさば)江繰出(くりだ)し官軍(くはんぐん)      人員(ひとかづ) 六万人 〇同怪我人(けがにん)開戦(はじめ)より三月  十六日迄同二千百二十人 〇熊本篭城(ろうじゃう)二月十九日より  今日に至(いた)り人員(ひとかづ)  谷少将 児玉少佐  冨岡県令   外兵率(へいたい)とも    三千五百人  内 五十人 重傷(ふかで) 〇内国(にっほん)各炮兵(てっほう)廠(ば)  一日毎(ごと)に    銃弾薬(てっほうたまくすり)  七十万ツゝ   製造(つくる)のよし 〇戦地(せんち)江 繰出(くりだ)しの 官将方(たいしゃうがた) 有栖川宮 伏見宮 山縣参軍 鳥尾中将 黒田参軍 三浦 大山 三好 野津 川路 山田 曽我 高嶌 各         少将           方   〇賊(ぞく)方 〇人員(かづ)一万五千人   内死人   四千人 〇開戦(はじめ)以来(このかた)潰(つぶ)せし 玄米(こめ) 四千五百石と云 〇賊方には一円より十円迄の 日本通用と記(しる)したる紙(さ) 幣(つ)を製(せい)し取扱(あつかふ)よし 〇附属(つき)賊将(かしら) 廿 五人    跡はをい〱次号に       明治十年三月五日御届       同   四月   出版

By nakamura, 5 7月, 2024

尋(つゞ)いて西南評(ひゃう)は西郷隆盛花岡山へ陣を/移(うつ)し砲台(ほうたい)を堅(かた)くせるよしなれども戦撃(たゝかひ)/昼夜絶間(たへま)なく植木の賊(ぞく)兵は官軍/野津隊(たい)五十名ばかりの不意(い)に襲(をそ)ひ/来って突戦(つきいり)はげしきにをどろき/敗(はい)して向山に退(の)きなれど再(ふた)たび/取てかへし植木駅に塁(かこみ)を築(つ)きたり官軍方/にも同駅(どうしょ)に塁を設(もふ)けて相対(あいたい)して其間だ僅(わづ)か/に十五六間を隔(へだ)てたり田原坂より植木に進んで/官軍は賊塁(す)を数ヶ処(たんと)抜き大砲小銃弾薬(たま)を分/捕(とり)賊兵を擒(とりこ)とし放火戦(ほうくはせん)に衆(しゅ)賊を斃(たを)し勝利度/を重(かさ)ね山鹿口に屯集(あつまり)なす賊は植木駅/の火焔を遥(はるか)に望(のぞ)み騒(さは)ぎて夜中雨に/紛(まぎ)れて菊地隈府(ついふ)鳥(とり)の巣(す)辺をさし/て遁逃(のきにげ)なすと実に官軍方/続(つゞい)て勝戦(かち)の報(しらせ)てなるかな/跡はをい〱次号(つぎ)に/しらす

By nakamura, 5 7月, 2024

前号(さき)に粗(ほゞ) 記載(きさい)せし西南(さいなん) 評(ひょう)のうち女隊堂(をんなぐみとう) 々(〱)と操出(くりだ)してより その戦功(せんこう)いかゞなるやと 説(せつ)をまつにたしかにそれ と知(し)れねども西郷の室(をく) とをぼしき一婦(ふじん) 嵐(あらし)に逆(さから)ふ花にひと しく戦(たゝか)ひの間(ま)に〱 長刀(なきなた)ひらめき電(いな) 光流車(づまりうしゃ)と振(ふ)り挿(かざ)し 緋襷風(ひたすきかぜ)にひるがへり ほとばしる血(ち)と疑(うたが)ふ ばかり 戦地(いくさ)深(ふか)くも勇気(ゆうき) を貫(つらぬ)き頼(たの)みの 兵(へい)もいとかだそ 馬蹄(ばてい)にかけて 烈気(はげしき)一図(いちづ)に馳(か)け 周(めぐ)るは 額女(がくじょ)が 門(もん)に進(すゝ)むに非(ひ)せりいまだ 薫名(くんめい)詳(つまび)かなず生死(せうし)の 界(かい)もさだかならぬは 天晴(あっはれ)一夫(ふ)の 一婦(ふ)と呼(よば)はる のみ跡はをい〱次号(つぎ)に報(しら)す       明治十年三月五日御届       同   四月   出版

By nakamura, 5 7月, 2024

戦地国界面/西南(さいなん)の景況(けいけう)は追(をい)〱号(ごう)を嗣(つ)ぎたるに/其地図(ちづ)及(をよ)び熊本国界里程(こくかいみちのり)並に官軍/諸将方の陣(じん)営焼(やけ)亡の場所(ばしょ)戦争(たゝかひ)の□(ち□□)賊(ぞく)/軍(ぐん)の屯集処(あつまりとこ)など委(くは)しく報(しら)せすよって/今爰(こゝ)に画(え)図を引(ひい)て予(あらか)じめ記載(しるし)なす/高瀬総督官の手に/三浦伏見の両少将/植木には/山県参軍/大山三好の両少将/吉次越には/野津少将/八代口には/黒田参軍/川路山田の両少将/熊本には/谷少将/下の関より/福岡に向ふて/曽我少将/西京には/四条少将/東京には/西郷中将/井田東伏見の両少将/此方〱の備へで有ます/から大丈夫請合なり里程/熊本より/佐賀  廿三里六丁/宮崎  五十九里六丁/高瀬  六里廿六丁/木葉  五里/川尻 二里よ/山鹿  六里十五丁よ/阪の下 八里よ/鹿児島 五十三里 菊池 八里/南の関 五里廿九丁 植木二里廿三丁 八代十里廿六丁 田原坂 四里十丁/大津  四里廿四丁 高橋一里廿六丁 小島二里よ 人吉 二十六里二丁/東京より  鹿児島へ五百廿五里 長しう下の関 三百八十四里 ひぜん福岡 四百十里/ひぜん五島  五百十里 各海路(うみじ)十り 九州沿海(そううみ)廻り八百六十里七丁四十間/肥後国中百八十五島 薩

By nakamura, 5 7月, 2024

福岡県下暴動(ぼうどう) 去(さ)る程(ほど)に三月廿八日を発端(はじめ) とせし福岡県(けん)下筑前の国 早良郡ナゝクマ村に同国(どうこく)の士族(しぞく) が四五百人より〱に集(あつ)まりさあ 騒動(さはぎ)を初(はじ)めごた〱する処より 西南征討(さいなんせいとう)のため下の関へ操出(くりいだ)し 備(そな)へを立られある兵隊(へいたい)を至急(しきう)に 出張(ではり)となり追討(ついとう)の指揮(さしづ)をもって 撃(うち)いだしたるに暴徒(ぞく)はたまらじと思ひ けん忽(たちま)ち逃(に)げ散(ち)りアブラヤマ村又 コカサギ辺(へん)によりあつまるを以(もっ)て再(ふたゝ) び追打(をいうち)せられ今度(こんど)も散乱(さんらん)と逃(に)げ 退(のき)きしうち六十四名といふもの捕縛(ほはく) せられ残(のこ)れる賊(ぞく)はもっはら探索(たんさく) 中(ちう)の報知(しらせ)あり爰(こゝ)にまた一と そんさくは豊後国中津の賊(ぞく) 党(ども)凡百人ばかり蜂起(ほうき)なし 大分県(をゝいたけん)へ寄(よ)せ来(きた)ると をもへば跡(あと)を闇(くら)がまし 何国(いづく)への奔(はし)ったと御説(うはさ) あれとも是(これ)は証(たしか)を得(え)ず 跡(あと)はをい〱次号(つぎ)に報(しら)す       明治十年三月五日御届       同   四月  

By nakamura, 5 7月, 2024

西南(さいなん)吉次越への官軍は木留/町に戦(たゝか)ひ賊(ぞく)が守(まも)る処の砲台(だいば)/あまたを乗取(のりとり)り是より続(つゞ)いて/攻戦(たゝかひ)昼夜(ちうや)引切(ひきゝ)らず官軍には/熊本へ達(つう)せんとの見込(みこ)みにて/其鉾先(そのほこさき)きのはげしきは電光(でんこう)/の絶壁(ぜっへき)に応(をう)ずる如く激戦勝(けきせんしゃう)/敗(はい)を決(けっ)せず去程(さるほど)に征討総督(せいとうそうとく)有栖川宮/には二大隊(たい)の兵(へい)を随(したが)ひ南の関へと繰出(くりいだ)され/それより高瀬へ営(じんや)を進(すゝ)められ給ふ八代の/官軍は小蒸気(こじゃうき)船にて本営(じんや)往復(ゆきゝ)を達(な)す/此度(こんど)の戦争(いくさ)は去日(せんころ)より田原坂越(こ)への大戦(いくさ)が/実(じつ)に前後(ぜんご)稀(まれ)なる大挙(たいきょ)にして官軍苦戦(くせん)/の中にも陸軍少将大山巌君は纔(わづ)か十有/余人の兵(へい)を御(さしづ)して一際(ひときは)の突戦(はたらき)なりしといふ/田原の険塁(かため)を案外早(あんがいはや)く略取(のっとり)せられしは/将士方(くはんぐん)の奇功(きこう)を奏(そう)ずによれりと云々/桐野利秋は大竹(をゝたけ)を/振(ふ)り猛戦(もうせん)し此竹破裂(はれさけ)/なす頃(ころ)は大坂

By nakamura, 5 7月, 2024

西南暴動(さいなんそうどう)の始(はじま)りより/をい〱各処(しょ)の戦撃(たゝかひ)/を有(あり)の其侭(そのまゝ)しらせますか/扨賊方(さてぞくかた)が此さはぎ/を発(をこ)すいふにつけ情(なさけ)ない譚(はなし)が/有ますが其訳(わけ)といふは/いまだ戦(いくさ)のはじまらない/其頃(ろ)鹿児島へ帰県(かへり)したる/警部(けいぶ)方巡査(じゅんさ)方中原尚雄君を/初(はし)め其外四拾四人の面々(めん〱)たちを忽(たちま)ち暴徒(ほうと)/多勢(たせい)で擒(とりこ)としていふやうは其方達(そのほうたち)は探索(たんさく)の/事情(こと)有て帰国(きこく)なしたるやいさ真直(まっすぐ)に白状(はくじょう)/しろと思ひ懸(かけ)なき糺聞(きうもん)に否(いな)といふ間(ま)も/あら無暫(むざん)にも荒縄(あらなは)で縛(しば)り上げ鉄杖(てつぼう)を/もて打糞汁(うちふんじる)を灌(そゝ)ぎ息(いき)が絶(た)ゆれば呼(よ)び/戻(もど)し九死一生七転八踏(きうしいっしゃうしちてんばっとう)さあ探索(たんさく)の為(ため)の帰県(かへり)で/有らふと多勢(たせい)が押(をし)ふせ無勢にむかひ相違(そうい)有まい此書(しょ)/面へと無理無体(むりむたひ)拇印(□いん)させ惨酷(さんこう)非道(ひどう)最(も)う此上は首斬(くびきり)か/身を縛(しば)るか其面々は血(ち)の泪

By nakamura, 5 7月, 2024

続(つゞ)いて西南(さいなん)の大戦争(いくさ)は曰(ひ)々/其鎮静(そのをさまり)を祈(いの)るといへどもいまだ/防戦(ぼうせん)の煙(けむり)横(よこ)ぎり兇雲(けううん)裂(さ)け/やらず一人西郷隆盛血路(けつろ)を開(ひら)/かんと欲(ほっ)すれども志遂(こゝろざしとげ)る能(あた)はず/去程(さるほど)に方今賊勢(このごろぞくせい)の一方(いっほう)ひらき/春色稍(しゅんしょくやゝ)うつろひ満開(まんかい)の花に/ひとしく美々(びゝ)堂々(とう)と/五百有余人声(こへ)を揃(そろ)へて操込(くりこ)む一隊(たい)あり/其粧装(いでたち)は白木綿(しらゆう)の鉢巻(はちまき)後(うしろ)に垂(た)れ緋(ひ)/の玉襷(たまだすき)まばゆく丈(た)け髪(かみ)を振乱(ふりみだ)し甲斐(かひ)/〱゛しく長刀(なぎなた)を横(よこ)たへたるは正(まさ)しく一群(ひとむれ)の女(にょ)/隊(たい)なるが何(いづ)れの嚊(かゝ)やら箱入(はこい)りやらお三どんやら/等級(とうきう)いづれもさだかならず畢竟同権(ひっきょうどうけん)の流言(ことば)が/あればいゝて浮雲(あぶな)い開戦(かいせん)をやられ升す/官軍方の勝利(しょうり)にをいては度(ど)を算(かぞ)ふるに/指(ゆび)を忘(わす)る賊方には軍略心胆(ぐんりゃくしんたん)を砕(くだ)くが/中に西郷は忽然(こつぜん)と彼方(

By nakamura, 5 7月, 2024

前号(さき)に/つゞく西(さい)/南(なん)の戦(いくさ)/撃は田原/坂植木口/の賊(ぞく)を生(いけ)/捕(ど)り大鉋(をゝづゝ)小銃(づゝ)を官軍へ分捕(ぶんとり)ありて/海路(うみべ)より賊勢(ぞく)の背(うしろ)を攻(せ)めたるに賊は散乱(さんらん)/しまた八代(やつしろ)の士族(しそく)は/官軍のため/勇(ゆう)をふるひ/馳(かけ)まはる勢(いきほ)ひに/賊兵は隈府へ引揚(ひきあけ)けたるよし熊本/への道(みち)は段(だん)ゝ開(ひ)らけをい〳〵田原坂本道閑(ほんどうかん)道/よう進撃(うちでる)官軍の勝利(しょうり)数多壘(あまたかくみ)を抜(ぬ)き/取(と)り平山口の奮戦(たゝかひ)には賊の正面(しゃうめん)より攻(せめ)立しに/賊隊(せい)みだれ鉾先退(ほこさきしり□)き敗走(はいそう)の色(いろ)をみせたり/すでに先号(さき)にも記載(しる)せし西郷(さいごう)は川尻(かはじり)の本(ほん)/陣(じん)を北岡郷(ごう)にうつしたる折(をり)しも右翼(□より)と頼(たの)/みたる篠原を初め西郷小平は戦死(せんし)を告(つげ)たり/別府新助は深手(ふかて)を負(を)ひたり賊兵は/必死(ひっし)を極(きは)め火薬筒(ゑんしやうづゝ)を背負(せを)ひ隙(ひま)を/祢らひ是(これ)に火を放(はな)せば自分(じふん)は微塵(みしん)に/砕(くだ)け其一人のため相手(あい