続(つゞい)て西南大戦(さいなんおほいくさ)に官軍 巡査(じゅんさ)田原(たはら)坂なる賊(ぞく)の囲(かこみ) をはじめ所々をこぼち 賊方(てき)には必死(ひっし)数(あま) 多(た)ありしが其傍(そのあたり)小平山へ忽(こつ) 然(ぜん)と賊(ぞく)勢あらはれたるより官軍 方には刀(かたな)をひらめかし賊(てき)の前後(ぜんご)を はさんで終(つい)にこゝを追退(をいしり)ぞけつゞいて 賊方(ぞくかた)は熊本城にむかひ薩地(さつま)より 取寄(とりよ)せたる臼砲(をゝづゝ)を試(こゝろ)みんと打(うち) かけしに弾勢(たま)をよばず城中(しろ) より撃(うち)いだす大砲(おゝづゝ)に賊(ぞく)大いに 損(そん)じたり賊軍(ぞくぐん)の勇気(ゆうき)しだいに ひるみ死傷(しにん)も多(をゝ)きより今(いま)は西郷 も八百人の兵(へい)を率(ひ)ひて本陣(じん)を祇園(ぎをん) 山にうつしいよ〱戦(たゝか)ひいづる見込(みこみ)なり といふ篠原は吉次(きちじ)坂の戦(たゝか)いに死(し)せしと きく村田新八は深手(ふかで)を負(を)ひ弟(をとゝ)三之介 は戦没(うちじに)せり吉次田原越(こへ)にては賊(ぞく) 兵(へい)刀(かたな)を抜(ぬ)き突入(つきい)れども利(り)なくして 鍋田村を焼(や)き海軍(かいぐん)のために白浜 河内口の賊(ぞく)勢は砲