By nakamura, 5 7月, 2024

      西郷隆盛(さいがうたかもり) 鹿児島の産にして吉之助南州とよひ智勇たけく軍方/にひいで一新のはじめ禁震をやすんじ奉り其功莫大江湖の/人これをしるよつて陸軍大将にのぼる故あつて故郷にかへるときに/明治十年二月かご島ぼうとの巨魁となり熊本に開戦なす       桐野利秋(きりのとしあき) 前名中村半次郎といひ人となり桐野利秋となのり/思りよふかくことに武勇はもちろん砲じゆつは天下に及/ぶ者なしをしいかな暴徒をたすけ無名のいくさを起し/けるはいはゆる智者の一失ならんか       篠原国幹(しのはらくにもと) かご島の産たり其はじめ皇国に義名をかゞやかし陸軍少将たり/しが故郷かご島にかへりてけん下の暴とらが首領となり肥後田 /はら坂に蜂起し官兵をうちくだかんと種々ぼうけいをめぐらし/戦ひすみしか終に官軍のためにうち死せしといふ       村田新(むらたしん)八 かご島の副将とよばれすこぶる鎗刀の達人のきこへあり/此度強賊の三隊を引率し熊本植木の町に乱せんして/右手に砲玉をうけ骨くだくるといへどもくつせずます〱 /実せんにおよび敵をおふことしば〱なりといふ       西郷(さいがう)小平 其昔島津公のきん臣にて同苗隆盛の舎弟也力あくまでつよ/く全身に千斤を上て重しとせず十三才のころ同国なだれ川にて/川太郎を手どりになし其がうけつ四方にるふして末たのもしく思ひしに/豈斗

By nakamura, 5 7月, 2024

臣としては忠に死し子と しては孝に死すことは古昔聖賢 の明言二つながら捨さるへからず 宜乎哉我陸海軍将校明治十 一年十一月を以て陸続昇進の 典を辱ふするや是全大政府 の識見と其身積年の累 戦に身命をなげうち果 して戦功を成すによりかゝ る栄を蒙るなるべし 可尽々々

By nakamura, 5 7月, 2024

従三位      大久保利通   従四位 海軍大輔 河村純義  

正四位      大隈重信    正五位 陸軍少将 谷干城  

正四位      大木喬任    正五位 陸軍少将 野津鎮雄           正四位 陸軍中将 山縣有朋    正五位 陸軍少将 曽我祐準   

正四位 陸軍中将 西郷従道    正五位 陸軍少将 井田譲 

正四位 陸軍中将 黒田清隆    正五位 陸軍少将 三好重臣

正四位 陸軍中将 鳥尾小弥太   正五位 陸軍少将 大山巌  

正四位 陸軍少将 山田顕義    正五位 兼 大警視 川路利良

正四位 陸軍少将 三浦梧楼    正五位 海軍少将 伊東祐麿

By nakamura, 5 7月, 2024

天(てん)に順(したか)ふ者(もの)は栄(さか)ヘ天(てん)に逆(さか)ふ 者は亡(ほろ)ぶと宜(むべ)なるかな爰(こゝ)に 鹿児島(かこしま)の賊魁(そくくゎい)西郷隆盛 大兵(たいへい)を引率(いんぞつ)し肥豊(ひはう)の間 に猛威(まうい)をふるひ錦旗(きんき)を恐(おそれ)ず 天兵抗(こう)じ一旦(たん)日向に敗縮(はいしゅく) し猶囲(なほかこ)みを突(つい)て鹿児島に 到(いた)り脱兎(だっと)の勢(いきほ)ひをなし たるも争逆(いかてきゃく)以て順(じゅん)に克(かた)ん 遂(つひ)に滅亡(めつはう)なしたる全大総督(まったくたいそうとく) の軍配(ぐんばい)図に適(かな)ひ諸将校(しょしゃうかう)の 指令(しれい)兵士の忠戦(ちうせん)により万(ばん) 民(みん)安(あん)堵(ど)の思ひをなさしめ 美名(ひめい)を青史(せいし)に止(とゞ)めたり

By nakamura, 5 7月, 2024

明治十年一月末つかたより西 南に暴徒を起(おこ)し肥筑(ひちく)の 界(さかい)まで進(すゝ)みしかど官軍の 諸将(しょ〱)軍畧謀計(ほふけい)其図を はづさず遂(つい)に同年九月下旬(けじゅん) 鎮撫(ちんむ)を奏(さう)されしに従朝庭(てふていより) 賜天盃(てんはいをたまわり)尚夫々引出物を被為 下置たりとぞ云々   内田正鳳記