By nakamura, 5 7月, 2024

昨日(きのふ)は日薩(にっさつ)肥豊(ひほう)の間(あひだ)に奔(ほん) 走(そう)して弾丸(だんぐゎん)の雨を侵(をか)し 今日(けふ)は殿上に天盃を賜(たまは)りて 酒宴(しゅえん)の興(きゃう)を尽(つく)す是蓋(これけだ)し 征討(せいとう)大総督の宮をはじめ 諸将の軍畧(ぐんりゃく)其図適(かなひ)兵士の 奮発忠戦(ふんはつちうせん)によつてさしも 猖獗(しゃうけつ)なる賊兵を委(こと〱゛)く誅(ちう) 罰(ばつ)し上は震襟(しんきん)を安じ奉 り下方民の塗炭(とたん)をすくふ 其功莫太(ばくたい)なればなり依以(よってもっ)て 美名を後世に輝(かゝや)かせり

By nakamura, 5 7月, 2024

昨日(きのふ)は日薩(にっさつ)肥豊(ひほう)の間(あひだ)に奔(ほん) 走(そう)して弾丸(だんぐゎん)の雨を侵(をか)し 今日(けふ)は殿上に天盃を賜(たまは)りて 酒宴(しゅえん)の興(きゃう)を尽(つく)す是蓋(これけだ)し 征討(せいとう)大総督の宮をはじめ 諸将の軍畧(ぐんりゃく)其図適(かなひ)兵士の 奮発忠戦(ふんはつちうせん)によつてさしも 猖獗(しゃうけつ)なる賊兵を委(こと〱゛)く誅(ちう) 罰(ばつ)し上は震襟(しんきん)を安じ奉 り下方民の塗炭(とたん)をすくふ 其功莫太(ばくたい)なればなり依以(よってもっ)て 美名を後世に輝(かゝや)かせり

By nakamura, 5 7月, 2024

四海(しかい)みな兄弟(けうたい)なる愛度(めでたき) 聖代(みよ)に西郷隆盛(さいがうたかもり)が斯(かゝ)る 大事(だいじ)を引出(ひきいだ)せしより其舎(そのしゃ) 弟(てい)なる陸軍中将西郷従(りくぐんちうじゃうさいがうより) 道君(みちくん)は西海(さいかい)敵地(てきち)の巡回(じゅんくゎい)を 命(めい)ぜられしかば該地(がいち)の景勢(ありさま) を悉皆巡見終(こと〱゛くじゅんけんおは)りて帰京(ききゃう) あり参内(さんだい)して拝謁(はいえつ)のうへ 戦地(せんち)の実況(じっきゃう)を残(のこ)る所(ところ)な く詳細(つまびらか)に奏問(そうもん)あれば 両大臣(りゃうたいじん)を始(はじ)めとして 其他(そのた)の諸将(しょしゃう)にも倍席(はいせき) ありて慰労(いらう)の為(ため)種々(しゅ〱゛)の 御饗応(ごきゃうおう)ありしといふ

By nakamura, 5 7月, 2024

旧(きう)鹿児島(かこしま)県令大山綱良(けんれいおほやまつなよし) は西郷隆盛(さいがうたかもり)ら事(こと)を起(おこ) すの際(さい)大ひに職務(しょくむ)に 尽力(じんりょく)せられしが柳原君(やなきはらくん) 勅使(ちょくし)として鹿児島に 着(ちゃく)せられしとき種々(しゅ) 不審(ふうしん)の廉(かど)なりこれに 依(よっ)て東京に拘引(くういん)して 糺問(きうもん)の上(うへ)又(に)長崎(なかさき)臨時(りんし) 裁判(さいはん)所へ廻(まは)され終に 九月二十九日斬罪(ざんざい)に処(しょ) せられしとかや

By nakamura, 5 7月, 2024

明治十丁丑年九月廿四日 賊魁西郷隆盛桐野 利秋村田新八其余の 暴徒等薩州の城山岩 﨑谷において悉く亡滅及び 鎮静平定す  総督宮諸 将校首級実検の図

By nakamura, 5 7月, 2024

西郷隆盛(さいがうたかもり)は当春(とうはる)以来賊軍(ぞくぐん)の 将(しゃう)となり数百度官軍(すひゃくどくゎんぐん)に抗(かう)し 頗(すこぶ)る勇(ゆう)を奮(ふる)ひ全国(ぜんこく)を動揺(どうよう)せ しめしが遂(つひ)に敵(てき)するを能(あた)はず して明治(めいぢ)十年九月廿四日の早天(さうてん) より官軍大挙(くゎんぐんたいきょ)して鹿児島(かごしま)城(しろ) 山(やま)の賊塁(ぞくるい)を目(め)がけ大小銃(じう)を打(うち) 立(たて)しが賊(ぞく)は素(もと)より弾丸乏(だんぐゎんとぼ)しければ 打(うっ)て出奮戦(いでふんせん)なす安村某君(やすむらなにがしくん)は賊(ぞく) 将(しゃう)の面(おもて)を豫(かね)て見(み)しりたるゆへ西郷(さいがう) が首(くび)を得(え)んと飛(とび)かかるを何(いづ)れへか 遁(のが)れ去(さ)り割腹(かっふく)したりとそ其後(そのご)首(しゅ) 級(きう)を見出(みいだ)し実検(じっけん)ありしといふ