By nakamura, 5 7月, 2024

今茲に旧陸軍大将正三位 西郷隆盛旧陸軍少将正五 位桐野利秋同篠原国幹 等を首とし明治十年二月の 頃より九州に叛跡を顕せし 逆類の人名を畧記す           図者識 明治十年八月八日御届 同   八月 日出版

By nakamura, 5 7月, 2024

池上(いけがみ)四郎は/鹿児島(かごしま)の士族(しぞく)/にして武勇(ぶゆう)の人(ひと)たり西郷(さいがう)と倶(とも)に熊本(くまもと)に/出張(しゅっちゃう)し一方(いっばう)の将(しゃう)として各所(かくしょ)に戦(たゝか)ひ官兵(くゎんへい)と/抗撃(かうげき)せしも御舟(みふね)の敗走(やぶれ)に重痍(おもで)を負(お)ひ割腹(かっぷく)/して果(はて)しとぞ 桐野利秋(きりのとしあき)は鹿児島(かごしま)の人始(ひとはし)め/姓(せい)を中村(なかむら)という人(ひと)なり強壮(ごうそう)にして武(ぶ)に長(ちゃう)ず維新(いしん)の際(をり)/軍(ぐん)に従(したが)ひ屢々(しば)大功(たいこう)あるを以(も)て追々登進(おひとうしん)し遂(つひ)に陸軍(りくぐん)/少将(せう)に挙(あげ)らる始(はじ)め西郷(さいがう)と其中和(そのなかくゎ)せず征韓論発(せいかんろんおこ)りて/西郷と論(ろん)を同(おな)じうするを以(も)て無二(むに)の党(とう)となり隆盛職(たかもりしょく)を/辞る際倶(ときとも)に辞して帰国(きこく)なし遂(つひ)に今回(こたび)の暴動(ばうどう)に/及(およ)びしとぞ 淵邊高照(ふちべたかてる)は悍強(ひゃうがう)にして武(ぶ)に/達(たっ)し戊辰以来(ぼしんいらい)各所(かくしょ)の戦場(せんぢゃう)を/経て功(こう)あるを以

By nakamura, 5 7月, 2024

西南評(さいなんひゃう)はちよい/と話(はなし)かわって賊(ぞく)は/熊本を一/二里距(さ)る/処に有(あ)/りて撓(た)はむ色なく桂衛門/といふ者(もの)鹿児島へ帰(かへ)りて/県庁(けんちゃう)を本営(えい)となして/三千人の/兵(へい)を募(つの)り/て人吉(ひとよし)通りを/さして繰込(くりこ)むんで/戦場(いくさば)怪我人(けがにん)は鹿児島へをくり/全快(なおり)次第(しだい)すぐに出張(はり)をなすべしと/有って戦場よりの早かちは/日に二度ほど六人懸(かゝ)りにてえっしー/〱と駕(かこ)を県庁(けんちゃう)へ飛(と)ばしこむ扨こゝに/ 一際(きは)目立ちたるは千紫(し)万紅陣(こうじん)/                   羽(は)をりやら/寅の皮(かは)のふん/どしどっこい尻鞘(しりさや)の太刀(たち)隊長(たいてう)には/縮緬(ちりめん)の旗(はた)さし物かすかに聞(き)こゆる遠攻(とをせめ)は/熊本より賊へ加勢(せい)の神風隊(たい)の貝鉦(かいかね)太鼓(たいこ)/多勢を率(ひ)ひて寄(よ)せたり〱はて頑固(くはんこ)なるありさま/なり〇官軍には木山の賊塁(るい)を抜(ぬ)き宇土(うとう)口の兵と/連絡(つゞき)有て其後双(そう)方戦(たゝか)ひを鎮(しづ)め賊は此辺を引はらひ/征討部署(ぶしょ)を謀(はか)らんみこみ官陣より外偵(ものみ)を出して賊/

By nakamura, 5 7月, 2024

続(つゞ)いて西南評(ひゃう)は四月八日 熊本籠城(ろうじゃう)の兵(へい)を一大 隊(たい)を奥少佐君引率(いんそつ)して 城門(じゃうもん)を出て 安政橋まで 押(をし)だし来るに橋は賊が 毀(こぼ)ちたれば皆々徒(みな〱かち)渡り して進(すゝ)むほどに南岸の 賊あるを見懸(か)け兵を 残(のこ)して是(これ)に当らせ其隙(ひま)に乗(じゃう)じ て兵を進むる途中(とちう)官軍の 探偵(しのび)兵に行(ゆき)合ひ本営(まる)の置処(ありどこ)を 聞(きい)て速(すみや)やかに宇土(うとう)本営(ほんじん)へ とぞ来会(らいくはい)せられ 城中の堅固(かたさ)を語(かた)り尋(つゞい)て十四日には 八代口の官軍川尻を攻(せ)め取り山川 中佐君一中隊を具(ぐ)して熊本城に 至(いた)りたり明日十五日は雲勢(うん□)晴(は)れ わたり官軍大挙(たいきょ)して熊本城へ連(つゞ) 絡(き)を遂(と)げられしは心地よくこそ見へにけり 植木木留の賊は所々に火を懸(か)け煙り(けふり) に紛(まぎ)れ立田山の方へ散々(さん〱゛)後(うしろ)をみせ官軍 遥(はるか)に是を望(のぞ)むに日向路さして潰走(つぶれはしり)なす 去(さ)る程に昨今(さくこん)西郷隆盛の所在(ありしょ)がとんとはか らず或ひは船に浮(うか)むで琉球(りうきう)へ逃(のが)れた支(し) 那(な)へ落(をち)たなどゝ