By nakamura, 5 7月, 2024

薩将淵部高照/高照は身骨肥満にして腰体十/囲膂力よく百斤の重を挙/ぐ本年二十八歳戦/闘に臨で常に祖裼/大刀を帯び歩卒に/先して敵を斃す事/無数又軍略に達す/既に戊辰の役や越/後口に於て薩の小隊/長と為り戦功を顕し/高照が右に出る者無り/しは強の武士と謂つ可し/後陸軍少佐に任じ次て島根/県の参事に転し幾も無く/亦陸軍少佐と為りしかど/朝廷征韓を非と為の議起/りしより高照は憤懣激怒/官を捨て去り国に在て私学/校の部長と為り衆望多かりしが/狂酒強謾遂に学徒に踈まれ放逐せら/れたりしに今回西郷が一方の将と為り/毎戦敵兵を敗り猛勇を以て/聞ゆ薩軍中の一英傑なり

By nakamura, 5 7月, 2024

旧鹿児島県令大山綱良/大山綱良は旧格之助と称す文学多才寡言にして衆望あり/併せて武術に長し九州第一等といふ中にも居合の如き担に/滴たる雨垂を斬り二点に至らざる内早や剱を鞘に収むと/戊辰の役に陸羽征討の参謀となり会津を討て乱軍の中に/在て偶々流弾の為に口を射られ歯唇を損ず縦容と笑て/士卒に向ひ言て曰く吾生れてより熱き梅干を喰しは/只今始めてなりと其胆心斯の如し/後ち鹿児島県令となり管下/を治む人民其徳に/服従す西郷が/衷意を助/るの事露/れ縛せられ/て東京青山/の獄裡に下る/ 十年の偉功一/朝にして廃る/綱良が心情亦憐/べし皇天上帝眼分明

By nakamura, 5 7月, 2024

西郷隆盛室阿香/隆盛の妻名を香と云う鹿児島県/士族岩山某の女なり隆盛に嫁し/て三男一女を生む幕府の時夫隆/盛が流竄せらるゝに當り随て大/島に在り磯打浪や松風の音のみ/絶ぬ島影に共に艱苦を倶にせし/が時なる哉国に帰るを得隆盛は/旭の昇る勢にて正三位参議陸軍/大将に進みしかども一朝の怒に/朝廷を退き十年二月兵を九州に/挙るや香女は同県士族の婦人中/夫兄と俱に斃れて地下の鬼となり/恨みなしと決心せる烈婦五百余人/を編成し之れが長となり隆盛が軍を/補けて陣中にあると云ふ/香女本年三十九外は婉に して内猛頴慧能く和歌を/詠すまた長刀の術に妙を/得稀世の英婦なり

By nakamura, 5 7月, 2024

旧陸軍少将正五位桐野利秋/元中村半二郎と称す俊傑英断性険約質朴佳/美を好ず田中幸介を師とし学ふ旧藩の時主/君の命に依国老平田を殺し遁れて肥後に住/す後召還され勤王攘夷の説を主張し甲子歳/武田耕雲齋を敦賀に逐ふ京師の戦に会津を/退く戊辰正月徳川慶喜を/大阪に枙す同年三月官軍/の先鋒と為り江戸に進/み上野宮を池上本門寺/に幽す後薩の隊長と為/会津を討て大功有り事/平に及び宦を経て陸軍/少将と為り熊本鎮台に/在一年にして陸軍裁判/長となり後廟議意に適ず/西郷と共に退て本国に帰/り私校学の長となり壮士を励/し今日兵を挙るに及て策略人望西/郷の右に出と昔日天下に勲功ある豪傑/にして今日叛賊と為るや噫嗟

By nakamura, 5 7月, 2024

旧陸軍大将正三位西郷隆盛/通称吉之助文政四年生る/人と為り豪邁にして/大略あり兵を用る/神の如し始徳川/の逆政を憤り屢/之を斃んと謀り/事成ずして三度/大島に流さる故/に自称して大島/三右衛門と云慷/慨止ず安政五年僧/月照と身を西海に投ず/隆盛死せず後本藩の大参事と為り国君久光を助け執政専勤む英吉/利の事起るに及て兵を勒し討て之を退く慶応元年参謀長と為り遂に/幕府を退け戊辰歳東奥北越の賊を平け大に政を改革し廢藩立県の/制度を定め陸軍大将に昇り 天皇陛下を奉して西州中国を巡狩す/ 明治八年征韓の論協ず退て鹿児島の離荘に在陰謀を企/尋問を名とし十年二月自譛(讃カ)して新政大元師と号し大軍/を卒て官軍と戦蓋世の英雄也惜哉賊将の名を蒙るを

By nakamura, 5 7月, 2024

旧陸軍大将正三位西郷隆盛/通称吉之助文政四年生る/人と為り豪邁にして/大略あり兵を用る/神の如し始徳川/の逆政を憤り屢/之を斃んと謀り/事成ずして三度/大島に流さる故/に自称して大島/三右衛門と云慷/慨止ず安政五年僧/月照と身を西海に投ず/隆盛死せず後本藩の大参事と為り国君久光を助け執政専勤む英吉/利の事起るに及て兵を勒し討て之を退く慶応元年参謀長と為り遂に/幕府を退け戊辰歳東奥北越の賊を平け大に政を改革し廢藩立県の/制度を定め陸軍大将に昇り 天皇陛下を奉して西州中国を巡狩す/ 明治八年征韓の論協ず退て鹿児島の離荘に在陰謀を企/尋問を名とし十年二月自譛(讃カ)して新政大元師と号し大軍/を卒て官軍と戦蓋世の英雄也惜哉賊将の名を蒙るを

By nakamura, 5 7月, 2024

西郷小平 賊将小平は思慮(しりょ)深(ふか)くして出兵の/評議一決(けつ)に及し時其席に進み/一座の人々に申す様此度の一挙(きよ)は孤軍/を遠く懸(かけ)て天下の大兵に敵す企なれば/人を惑(まど)はせ実体(じつたい)を匿(かく)し敵に知らさざるを/要す故に熊本を取らんとならば先つ/一二千の兵士を以て長﨑港を陥(おと)し/官軍進撃の便路を断(たち)上国の通信/を拒(こは)み金殼弾薬の資給(しきう)を充分(しうぶん)にし/然る時は熊本鎮台救援(きうえん)の師を出すへし/我軍は其兵の出るを待直(たゞち)に川尻より鎮城を/抜さすれば二筑両豊の士民は響(ひゞき)の如く応じ/血を塗らずして九州は容易(たやす)く定るべし願は/くは激(けき)文の如き迂策(けん)を廃(はい)して此竒術/を設けたしと詞を尽して諌めしも/同苗桐野等之を聴(き)かず海軍には川村/大輔あり若軍鑑群(むら)がり来て再び/奪(うば)ひ返されなば大に我兵機を拒む/べしとて全軍を以て陸地より/九州を蹂躝(りん)せしと云云

By nakamura, 5 7月, 2024

篠原国幹/国幹は温良(おんりやう)/篤実(とくじつ)にして沈深(ちんしん)/勇(ゆふ)あり堂々正々(とう〱せい〱)の/兵を御(きよ)するに慣(なれ)/熟(じく)し敵(てき)の正面に/向ふて是を破(やぶ)るに/尤妙を得(え)伏見乃/役徳川の兵を大阪/迄遂(お)ひ/戊辰乃/夏上野/黒門に/向ひ敵未だ/解散せさるに先導し/黒門に入兵士恐て擁し/門外え七度曳戻すとゆふ/猶所々に戦功あり依て/陸軍少将に拝し近衛兵/長官となり明治五年職を/辞(じ)す時に種田少将是を/愛(うれ)[憂カ]ひ斯(かく)の如く士官の退(しりぞく)に/は又慮(おもんはかり)なき能(あた)はずと談/論をしに諸将篠原氏/は一生を誤らざること/明(あきらか)なりと云(いい)あひにと又/西郷も能く依頼して疑(まよは)/ず相謀りて其可否/を決すと今回(こたび)西郷の/為に誤られるものか/其所業平生の/国幹と異別人の/ことしと伝聞(つたいきく)云云