By nakamura, 5 7月, 2024

連戦(れんせん)弾丸(たま)を飛(とば)して必死(ひっし)を 究(きわ)め暫時(さんじ)炮撃(ほふげき)なし 熊本城(くまもとぜう)に官軍と戦(たゝか)ひ 黒烟(こくいん)天に漲(みな)きり砲聲(ほふせい) 地を裂(さか)んと疑(うたか)ふ暴徒(ほうど)は 突然(とつぜん)として一手の兵(へい)を起(おこ)せ しが弥(いよ〱)官軍進激(しんげき)なして 城(しろ)の傍(かたわ)らに討(うち)しらませし 暴徒(ほふと)敗走(はいそう)に至(いた)り兵器(へいき)を 打捨散々(うちすてさん〱)に体(たい)を引退(ひきしりそ)き けるとなん 編輯  大田(金へんに常)誌

By nakamura, 5 7月, 2024

熊本鎮台司令長谷陸軍少将 は鹿児しま暴徒熊本城を攻る 事を早くも了知(れうち)し籠城の准備(やうひ) をなし本丸ならびに城下(しろした)の民 家を焼(やき)兵をそれ〱に分配(ふんはい)し城 の狭間(はざま)には鉄炮を配(くば)り敵の寄(よせ) るをまち請(うけ)たり時に明治十年 二月廿二日前陸軍少将正五位篠 原国幹(もと)暴徒二千五百人率し熊 本城下坪井町まで乱入に及びけ り待もふけたる台兵は少しも識(き) 気せず激発(けきはつ)なす互ひの弾丸(だんぐゎん)あ られの如く双方一歩(ほ)も退(しり)ぞかず 戦ひ数刻に及びけり同時京町 口本郷口にもはげしき戦ひ有に けり     月嵜主人記

By nakamura, 5 7月, 2024

去程(さるほど)に熊本鎮台(くまもとちんだい)兵(へい)は賊(ぞく) 軍押寄(ぐんおしよす)ると聞(き)き旧城内(きうじゃうない)へ大 小砲数千挺(ほうすぜんてう)兵士都合(へいしつがふ)八大隊(たい) 泰然(たいぜん)として今(いま)や遅(おそ)しと待設(まちまう) けたるに賊軍(ぞくぐん)二た手(て)にわかれ 城(しろ)を目掛(めが)けて進(すゝ)み両軍(りゃうぐん)その 勢(いきほ)ひ恰(あたか)も猛虎(もうこ)のごとし砲(ほう) 声天地(せいてんち)に響(ひゞ)き震動(しんとう)する が如(ごと)しとかや

By nakamura, 5 7月, 2024

上古(じゃうこ)の事(こと)は姑(しばら)く置(おき)て神武(じんむ)天皇(わう)御世(みよ)を治(しろ)し/めしてより以来皇統一姓(このかたくゎうとういっせい)に存(ましま)せは大政総(すべ)て/王室(わうしつ)より出ず云ことなかりしに島津の祖先(そせん)源/頼朝相刕(より とも さう しう )蛭(ひる)が児(こ)島に起(おこ)りて義仲(よしなか)を追討(ついとう)/し平家を西海に沈(しづ)めてより国家(こくか)の政権(せいけん)/武(ぶ)家に出るに至(いた)りて六百有余(やうよ)年将軍職(しゃうぐんしょく)/を置(おか)れたりしも一回(ひとたび)天下変遷(へんせん)するや戊辰(ぼしん)の/役(えき)に将軍職を廃止(はいし)して天下の政権(せいけん)皇室(くゎうしつ)/より出るに至りて一新開化(かいくゎ)に進歩(しんほ)して諸(しょ)/民(みん)太平を楽(たのし)み今や開明(かいめい)の治世(ぢせい)に方(あた)り此度(このたひ)/又鹿児島旧藩士等(かごしまきうはんしら)不平(ふへい)を鳴(なら)し皇統(くゎうとう)に/抗(かう)するも暫時(ざんじ)の夢(ゆめ)を見(み)るが如(ごと)し一時賊(じぞく)/軍勝利(ぐんしゃうり)を得(う)るとも昔古(むかし)より朝敵逆(てうてきぎゃく) 徒(と)の暴意(ぼうい)を貫(つら)ぬきしためしあらんや/官軍(くゎんぐん)がたには海陸(

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異変(いへん)西海(せいかい)に起(おこ)り一信(いっしん)の電(てん) 報(ほふ)忽(たちまち)三千余万(さんせんよまん)の耳底(にてい)を驚(おとろ)か せり抑(そも〱)鹿児島(かごしま)の暴挙(ぼうよ)日(ひ)に 増(ま)し煽動(せんとう)なせしは則天慶(すなわちてんけい)の 乱(らん)に髣髴(ほふほつ)たり况(いわん)や亦桐(またきり) 野(の)篠原等(しのはらとう)は西郷隆盛(さいこうたかもり)に 依頼(いらい)せり然(しか)るに鹿児島(かこしま)の 逆将反跡顕然(きゃくしゃうはんせきかくぜん)たるに因(よっ)て 征討(せいとう)の命(めい)を発(はっし)せられ屢(しば〱) 官軍(かんくん)の兵隊(へいたい)と激戦(けきせん)なせ しは昨日執政今日(さくしつしっせいこんにち)の国賊(こくそく) たり魁首三傑(くゎいしさんけつ)も暴兵(ぼうへい)の大(たい) 軍(ぐん)を引率(いんそつ)し県(けん)の界(さかい)に暴(ぼう) 行(ぎゃう)せしとは実(け)に逆賊(きゃくと)の魁(さきかけ)と いわんや 明治十年第三月   大田(金へんに常)編輯

By nakamura, 5 7月, 2024

鹿児島県(かごしまけん)の士族(しぞく)等が今(こん) 度(ど)暴動(ほうどう)に及(および)し元根(けんこん)は いかなる趣意(しゅい)が解(わかり)ませんが 二百人ばかりの士族(し ぞく)が不意(ふ い) に県庁(けんでう)へ押(おし)よせて乗(のっ)とり 国(くに)の堺(さかい)出口(でぐち)〱を固(かた)めて 通路(つうろ)をたちきり海岸(かいがん)へ は台場(だいば)を築(きづ)いて大炮(たいばう)を 備(そな)へ容易(ようい)ならざる有様(ありさま) なり亦薩州(またさつしう)の国界(くに さかい)(堺カ)で 熊本(くまもと)の鎮台兵(ちんだいへい)と大戦争(おゝだゝかい) が有(あり)十三日にも薩州(さつしう)の近(きん) 海(かい)で海軍(かいくん)の軍艦(ぐんかん)と薩(さつ) 州(しう)の艦(ふね)とで大戦争(おゝせんそう)が有(あり) ましたといふ事(こと)だがなに しろ大事件(だいじけん)になり

By nakamura, 5 7月, 2024

鹿児島県士族西郷隆盛は淮(維カ)新 以降陸軍大将に任し勤王の士なり しが板垣高知等と共に征韓の論を 主張し議殆と決す時に岩倉大久保 木戸の諸氏等之を非議す隆盛 其非とせられしを怒り鹿児島に 去り私学校を設け生徒を名とし て兵士を募り終に熊本鎮台を 襲ふ之れに依て官省勅奏の方々 廟堂に会議す朝廷にも深く万民 の難苦を憂慮あらせられ諸氏と 議し有栖川二品親王織仁公を 以て征討総督に任せしと嗚呼西郷 隆盛の国家の罪人なるや聖上の 宸襟を悩まし奉るのみならず逆賊の 名を天下万世に顕したるは実に 憐むべき次第ならずや