By nakamura, 5 7月, 2024 花岡山の本陣 大長 西郷隆盛 副長 桐野利秋 〃 討死 篠原国幹 〃 池上四郎 隊長 永山九成 〃 辺見十郎太 〃 樺山久兵衛 〃 渕辺髙照 〃 別府新介 〃 討死 西郷小平 〃 討死 村田新八 〃 池辺某 〃 肥後助右エ門 〃 河野四郎 〃 平山新介 〃 中島武彦 〃 討死 村田三介 〃 別府九郎 〃 永山矢一郎 〃 児玉八の進 〃 髙木十治 〃 野村十郎太 〃 討死 山ノ内半左エ門 〃 弟子丸應介 花岡山の本陣 の続きを見る
By nakamura, 5 7月, 2024 【鹿児島新誌内】西郷花岡山巡見 賊首西郷(ぞくしゅさいがう)は私怨(しえん)を以(もっ)て 官軍(くゎんぐん)に抗(かう)し其鉾先(そのほこさき) 頗(すこぶ)る尖(するど)しといへども 鎮兵(ちんへい)はまた孫呉(そんご)に冨(と)み 斯(かく)の如(ごと)き軍略(ぐんりゃく)を施(ほどこ) し其賊(その[ ])を懲(こら)す嗚呼(あゝ) 未曽有(みそう)の大撃戦(だいげきせん) 実(じつ)に肝胆(かんたん)を寒(さむ)から しむ 松村春輔記 【鹿児島新誌内】西郷花岡山巡見 の続きを見る
By nakamura, 5 7月, 2024 【新聞】薩摩水俣説畧 今(いま)は昔(むかし)とことかわり月(つき)はり 瓦斯(がす)の輝(てり)わたる戸ざし も開(ひら)く此御代(このみよ)わさつまの 国(くに)と熊本(くまもと)ちんだいこゝか わけめの国境(くにさかへ)不平士族(ふへいしぞく) か争(あらそ)ひしもあやなれど所(ところ) は水股(みづまた)ゆへ噂(うわさ)にきくもけ んそとかや唯新聞(たゝしんふん)風(ふう) 説(ぜつ)の信(しん)じがたきをかくとし か□□ 【新聞】薩摩水俣説畧 の続きを見る
By nakamura, 5 7月, 2024 【新聞】鹿児嶋水股風説 四海波静(かいなみしつか)に往返(ゆきき)の船(ふね) のけむりも高(たか)く万代(ばんた) 楽(らく)を謡(うた)ふ御代に鹿児(かご) 島(しま)けん下に士族の暴行(ほうきやう) なれと実地(しつち)を水股(みつまた)の 其風(そのふう)と川も信用(しんよう)ならす 殊(こと)に雷機(でんき)の私報(しはう)も止(とま)り さすかに士族(そく)のエレキも くづれ是鎮静(これちんせい)の近(ちか)き を謳(しる)すと云々 明治十年二月 【新聞】鹿児嶋水股風説 の続きを見る
By nakamura, 5 7月, 2024 鹿児島の暴徒出陣の図 時明治(ときめいぢ)十年二月十三日鹿児島城(かごしまじゃう) 西門(せいもん)の大手当時広野(おほてたうじひろの)になりたる地(ち)に二 丁四面(てうしめん)の柵(さく)を構(かま)へ暴徒(ぼうと)が一万余人集合(よにんしうがふ)し 弾薬兵器等(だんやくへいきとう)も整(との)ひしかば惣軍(そうぐん)此所(こゝ) に勢(せい)ぞろひして大将西郷(たいしゃうさいかう)は大礼服(たいれいふく)を 着(ちゃく)し新政厚徳(しんせいかうとく)の旗数(はたす)十流雪(りうゆき) 風(かぜ)にひるがへし兵士(へいし)は寒気(かんき)を除(のぞ)かんため 柵(さく)の四方(はう)に火(ひ)を焚勇気(たきゆうき)を含(ふく)んで扣へたり 鹿児島の暴徒出陣の図 の続きを見る
By nakamura, 5 7月, 2024 【鎮撫】鹿児島新聞 西海(さいかい)も穏(おだやか)ならぬ荒浪(あらなみ)に 暴風起(ほふふうおこ)る鹿児島(かこしま)の海(かい) 陸(りく)より官軍勢攻来(かんくんせいせめきた)らんと 数艘(すそふ)の軍艦鎮台兵(くんかんちんたいへい)も操(くり) 込(こ)む手配(てはい)頻(しき)りに周(めぐ)る鎮撫(ちんむ)の 両将説諭(りょせうせつゆ)を一際憤発(ひとき□ふんぱつ)して 朝(てう)に報(ほふ)する国事(こくじ)の尽力(じんりょく) 議論(ぎろん)に説破(ぱ)は党士(とふし)の煽動(せんどふ) 煙(けむ)りの中に鎮撫の放声(ほふせい) 激(げき)に防(ふせ)きの一的(いってき)は凱歌(かいか)に至る 治世(じせい)とならんや 編輯 大田(金へんに常)誌 【鎮撫】鹿児島新聞 の続きを見る
By nakamura, 5 7月, 2024 【巷説載談】西隅紀聞 薩肥(さつひ)の国境(くにさかい)に鎮台兵(ちんたいへい) 暴徒等(ばうとら)と戦争(せんそう)の件(くだり) 筑柴(紫カ)(つくし)の海(うみ)に波立(なみたち)て鬼界(きかい)が 島(しま)に遠(とお)からぬ鹿児島地方(かごしまちほう) おだやかならず何(なに)か原因(おこり)は不(し) 知火(らぬい)の不平士族(ふへいしぞく)が一揆(いっき)をなせ し暴動(ぼうどう)は其県庁(そのけんちう)を略取(のっとり)せ しより熊本県下(くまもとけんか)へ進入(しんにふ)し専(せん) 横(おう)一方なざるよし政府(おかみ)に 達(たっ)し征討(せいばつ)の令(れい)下りてや陸(りく) 続(ぞく)したる勢(いせ)い朝日(あさひ)にこと ならぬ国旗(こくき)のひかり輝(かゞ)や きて官兵軍吏(くゎんべいくんり)の方々(かた〱)わ ます〱武備(ぶび)をしめされし と頃日紙上(このごろしじょう)にもっぱら見(み)へ たり 庚谷記 【巷説載談】西隅紀聞 の続きを見る
By nakamura, 5 7月, 2024 鹿児嶋県私学校暴徒記 今月(こんげつ)八日の夜(よ)鹿児島県(かごしまげん)の私学校(しがくかう) の生徒(せいと)が二百人ばかり得(え)もの〱を たづさへて県庁(けんちゃう)へ押(おし)よせ鉄砲(てっはう)を打(うち)か け斬(きっ)て入りければ宿直(とまりはん)の宦員達(くはんいんたち)も 不意(ふい)の事ゆへおどろきしなれど一生(しゃう) けん命(めい)になって敵(てき)を防(ふせ)がんとすれども 各々寸鉄(おの〱すんてつ)の得(え)物もなきゆへ防戦(ばうせん)甚(はなはだ) 難義(なんぎ)なりしを暴徒(ぼうと)は得(え)たりと刃(やいば)をひ らめかし無(む)二無三に乱(みだ)れ入右横左横(うおうざおう)に 走廻(はせめぐ)り滅多(めった)無性(むしゃう)に斬(きり)ちらしたる故宦(ゆへくはん) 員(いん)の人々痍(ひとびときづ)を負者(おふもの)少(すくな)からず今(いま)は防(ふせ)ぐ に力(ちから)なく終(つひ)に暴徒(ぼうと)の為(ため)に県庁(けんちゃう)を乗(のっ) とられしとぞ此暴徒(このぼうと)の巨魁(きょくはい)は桐(きり) 野(の)篠原等(しのはらとう)なりとの説(せつ)あれども未だ 其確説(そのかくせつ)を聞(きか)づ只新聞(たゞしんぶん)に見(み)へしま まを記(しる)す 亀谷堂暗記 鹿児嶋県私学校暴徒記 の続きを見る
By nakamura, 5 7月, 2024 【明治小史】年間紀事 鹿児島県下賊徒蜂起之事件 鹿児島県下(かごしまけんか) 賊徒蜂起之事件(ぞくとはうきのじけん) 干時(ときに)明治十年第一月西海(さいかい)の浪平穏(なみおだやか)な らず政府此(こゝ)に注目(ちうもく)あり陸軍士官命(りくくんしくゎんめい)を 奉(ほう)じて汽船(きせん)赤龍丸(せきりうまる)へ乗組(のりくみ)鹿児島(かごしま)へ入(にう) 港(こう)す抑此(そもこの)港(みなと)は東北は大隅に属(ぞく)し西は薩(さつ) 摩(ま)南は海峡(かいけう)に沿(そ)ひ港門(みなとぐち)至て狭(せま)し中央(ちうわう)に 桜島(さくらじま)あり此島より鹿児島港(こう)へ海上(かいしゃう)一里也 官史(くゎんり)は同所製造所(せいざうしょ)の弾薬(だんやく)を積込(つみこま)んと する際(きは)同県士族(けんしぞく)等遮止(さへぎりとゞ)め弾薬を掠奪(りゃうだつ)し 是(これ)を暴挙(ばうきょ)の手始(はじ)めとし数千人屯集(とんしう)し西(さい) 郷(がう)氏に迫(せまっ)て隊長(たいちゃう)たらんことを乞(こ)ふ同氏は 確乎(かくこ)として動(うこ)かず諭(さと)すに大義(たいぎ)以(もっ)て為(なす)と 雖(いへど)も伏(ふく)せずこれにより謝絶(しゃせつ)して跡(あと)を暗(くらま) せしかば桐野(きりの)篠原(しのはら)の両氏を巨魁(こくゎい)と仰(あふ) ぎ諸方(しょはう)の士族(しぞく) 【明治小史】年間紀事 鹿児島県下賊徒蜂起之事件 の続きを見る