明治六年十月の事情(こと)なりとや 西郷隆盛を主張(しゅちゃう)とし桐野 篠原江藤の輩(はい)専(もっは)ら征韓(せいかん)を 論(ろん)ずといへども廟議(びゃうき)其結局全(けっきょくまった) からずより后(の)ち面々(めん)帰国(きこく)して 薩地(さつま)に不(ふ)軌(き)を測(はか)るに西氏(さいごう)には 賞禄(しょうろく)を資(し)として私学校(しがつこう)を設(せっ) 置(ち)し従者(じうしゃ)に托(たく)し身は山野(さんや)を 逍遥(せうよう)し良星霜(やゝせいそう)を経(へ)るに方向(はうかう) 一朝(いってう)の誤(ご)によつて葛藤(かっとう)の憤怒(ふんぬ)を生(しゃう) じ薩肥(さつひ)の間(あいだ)に戦煙(せんえん)の跨(またが)る大挙(たいきょ) にいたるは実(じつ)に昔日(きょじつ)の積功(せきこう)を脱(だっ)し 妄(みだり)に官旗(かんき)を抗(こう)ずに進(すゝ)むを如何(いかん)ともせん 応需 花源堂誌