By nakamura, 5 7月, 2024

明治十年九月廿四日各旅団大挙 して城山に攻め登り直に賊の 旗下まて押し詰めし時東伏見少将が 引率の安村某が早くも西郷を認め 急に抽んて馳せより飛掛りて 既に組伏せんとする折賊四五名 折重りて安村はこれが為に傷を 負ひ其間に西郷は迯け去り官軍 跡遂ひ行くこと数歩ならぬ道端に 西郷の首級なき支体ありこれ西郷を救 ひ出すへき路なきより首打刎て 持去りしなんと厳にこれを探索 なし終に西郷桐野以下の首級を 総督有栖川宮の実検に備へ西南 全平常の功を奏し万民鼓服の秋 に至り嗚呼喜はしきことならずや

By nakamura, 5 7月, 2024

西郷(さいがう)桐野(きりの)以下(いか)の賊(ぞく)は/延岡落城(のべをからくじゃう)の後(のち)は日向(ひうが)の/高(たか)千穂(ちほ)の山間(さんがん)に退縮(たいしゅく)せ/しが密(ひそか)に策(さく)を決(けっ)し/八月十八日江之(えの)瀧山(たけやま)/を突出(とっしゅつ)し官軍(くゎんくん)の/囲(かこ)みを突(つき)三田井(みたい)に/出道々(いでみち)の分署(ぶんしょ)を/おそひ同国(どうごく)飯野(いいの)小林(こばやし)/を経(へ)て大隅(おほすみ)の国(くに)/横川(よこかは)吉田(よしだ)辺(へん)へ/討(うっ)て出/官軍を破(やぶ)りしその/勢威(いきほい)猛虎(まうこ)の荒(あれ)たる/如(ごと)く遂(つひ)に九月一日午前(ごぜん)/鹿(か)児島(ごしま)へ討入弾薬(うちいりだんやく)を/掠奪(りゃうだつ)し猶弁天(なほべんてん)台場(たいば)に/備(そな)へ在(あ)る大砲(たいはう)四門その外(ほか)の銃器(じうき)/うばひ夜(よ)に入(いっ)て倍々賊勢盛(ますぞくせいさか)ん/市街(しがい)は兵火(へいくゎ)㷔々(えん)として天を/焦(こが)しさながら暗夜(あんや)も/白昼(はくちう)の如(ごと)く飛丸(ひぐゎん)雨より/はげしく頗(すこぶ)る未曾有(みそうう)の激戦(げきせん)也/葢(けだ)し賊兵(へい)は勢威(いきほい)に乗(じゃう)じ

By nakamura, 5 7月, 2024

猛勇(もうゆう)天下に轟(とゞろ)きし鹿 児しま県下の暴(ぼう)徒らも いかでか官軍に敵すべき 根拠(こんきょ)とせし都の城◌人 吉(よし)◌延(のべ)岡をも攻(せめ)をとさ れ十重二十重(えはたえ)にとり 囲まれ日向の山中ゝ(なか)村 にて西郷隆盛は桐野 利秋をはじめ部下の賊 魁をあつめ官軍の囲(かこ)みを 破つて鹿児しまへ戻(もど)るべし と地図を示(しめ)して協議せり   篠田仙果(落款)

By nakamura, 5 7月, 2024

皇国の英傑四将とよ はれし源の義つね新 田義貞木曾よし仲 などいづれも婦人に沈 りたり茲に西南の賊 魁西郷隆盛◌桐野 利秋はことに婦人を 深く愛し陣中へ妾を めしつれ亦日向へ退ぞき し日も延岡在中村な る貸ざしきに至りあま たの娼妓をまねきよせ 軍中徒然をなぐさめん と遊興数度に及びし とぞ   柳々子仙果

By nakamura, 5 7月, 2024

賊将隆盛衆人(ぞくしゃうたかもりしゅうじん)に向(むか)ひ都(みやこ)の 城(じゃう)は吾兵(わがへい)の死(し)を決(けっ)すべきの地(ち) なればとて厳重(げんぢう)に准備(ようい)なし 固(かた)く守(まも)らしむ折(をり)から官軍(くゎんぐん)は賊(ぞく) 塁数ヶ所(るいのすかしょ)を陥(おと)し入れ勢(いき)をひ 盛(さか)んに美々津(みゝつ)川(がは)まで進撃(しんけき)し 山陰(やまかげ)の樹木(じゅもく)を伐(き)り筏(いかだ)にくみ各(かく) 所(しょ)の巌頭(けんとう)を凌(しの)ぎ漸(やうやく)にして 向(むか)ひの岸(きし)に到(いた)り賊(ぞく)の大軍(たいくん)を 激戦(げきせん)なせば終(つひ)に茲(こゝ)をも堪(こら)へ 得(え)ず退縮(たいしゅく)せしとかや

By nakamura, 5 7月, 2024

軍務(ぐんむ)の労(らう)を慰(なくさめ)んと桐野(きりの)逸見(へんみ) 其余(そのよ)の隊長(たいちゃう)宮嵜(みやさき)の近傍(きんぼう)なる 中村駅(えき)の貸坐敷(かしさしき)に遊(あそ)び娼妓(しゃうぎ) を呼(よん)て昼夜(ちうや)の遊興(ゆうこう)をりから 聞(きこ)える人馬の物音(ものおと)桐野は耳(みゝ)々 聳立(そばたて)てはて心得(ところえ)ぬ動揺(どうやう)といふ 間(ま)に逸見は立上り四方をさつと 見廻(みまわし)て官軍爰(ここ)へ寄来(よせきた)れり各(おの) 用意(ようい)といふ間(ま)もあらせば表(おもて)から 一度に討入(うちいる)官軍(くわんぐんふい)不意(くわんぐんふい)をうたれて こゝは敗亡(はいぼう)されとも名を得し薩(さつ) 摩(ま)武士(ふし)少時(しばし)は防(ふせ)き戦(たたか)ひしか 遂(つひ)に一方を打(うち)やぶり何処(いづく)とも なく退走(たいそう)なしたり

By nakamura, 5 7月, 2024

鹿児島(かごしま)の賊軍(ぞくぐん)ははじめ 肥後路(ひごぢ)に暴威(ぼうい)をたくま しうして屢々(しば〱゛)官軍に抗(かう) 撃(けき)せしかども官軍の兵(へい) 勢(せい)日(ひ)を追(おっ)て盛(さか)んになり 賊兵(ぞくへい)漸次(しだい)に衰(おと)ろへ肥後を 脱(たっ)して日向(ひうが)の都(みやこ)の城(しろ)に拠(よ)り しが忽(たちま)ち大兵(たいへい)に囲(かこ)まれて 保(たも)つこと能(あた)はず諸将(しょしゃう)本丸に 会合(くはひかう)し必死(ひっし)突出(とっしゅつ)と評決(けつ) し酒宴(しゅえん)を設(もう)け只(たゞ)一戦(せん)に 囲(かこ)みを破(やぶ)り佐土原の方 へ退(しりそ)きたりのち鹿児島 に突出(とっしゅつ)して名(な)ある将士(しゃうし)ら 皆(みな)こと〱く戦死(せんし)を遂(とけ)たり